(誓願寺の)策伝庵

  西区三滝本町1丁目の誓願寺に造られている茶室「策傳庵」です。
広島の誓願寺は、紫雲山光照院と号し、浄土宗西山派に属し、開祖は策伝上人(1554-1642)※と云われています。策伝上人は隠居後、(京都の浄土宗西山深草派総本山)誓願寺塔頭竹林院に住みそこに草庵を構え安楽庵と号し、茶道をたしなみ狂歌を作り、笑いを取り入れた説教を行ったそうです。
文人,茶人として知られ、豊臣秀吉 (1536-1598)や当代の文人たちと交遊しそのときの交遊録である「策伝和尚送答控」を残しています。
安楽庵策伝(あんらくあん さくでん) 1554-1642
安土桃山時代から江戸時代前期の浄土宗僧侶。落語の祖。策伝は道号。諱:日快、号:醒翁、俗名:平林平太夫。
美濃・金森長近(飛騨高山城主)の弟で、7歳で得度、京都(禅林寺)永観堂で修行、天正年間(1573-1592)中国地方で備前国大雲寺など七ヶ寺を創建したと伝えられています。1596(慶長元)年美濃浄音寺に戻り25世住持。1613(慶長18)年京都誓願寺55世(浄土宗西山深草派法主)。1623(元和9)年紫衣の勅許を得、塔頭竹林院に隠居、茶室安楽庵で余生を送る。
笑い話が得意で説教にも笑いを取り入れていたので、京都所司代板倉重宗の依頼で「醒睡笑(せいすいしょう)」八巻を著し、笑話集のさきがけとなる。
茶道は、古田織部門下で、安楽庵八窓亭と呼ばれる茶室「策伝庵」などが(広島の)誓願寺に伝えられています。
「策伝庵」は、二畳の相伴席のある三畳台目で八窓席は安楽庵策伝好みの茶室と云われています。
(ふるたおりべ)
古田織部:
(1544-1615)
安土桃山時代の武将茶人。織部流茶道の開祖。美濃の人。名は重然(しげなり)。織田信長豊臣秀吉に仕えた大名で、織部正に叙任。千利休(1522-1591)の高弟で、のち一流をなし、徳川秀忠(1579-1632)はじめ諸大名に茶の湯を伝授。関ヶ原の戦いでは徳川方に属し功をあげたが、大坂夏の陣で豊臣方に内通したとの疑いを受け自刃。
茶道の弟子には、小堀遠州(名は政一:1579-1647)、上田宗箇(名は重安:1563-1650)など
2004年交流ウォークで訪ねた誓願寺でした、その時開祖の縁から毎年4月第4日曜日に策伝会(落語会)が催され、その時この(茶室)策伝庵を公開していると、住職にお聞きしました。
2009年になりましたが交流ウォーク片岡会長のお誘いで4月26日訪ねたのです。普段は公開されていない「策伝庵」公開してありましたので撮影させていただき、この頁を編集しました。
09.06.09裕・記編集

09.04.26.撮影

09.04.26.撮影
広島市西区三滝本町1丁目17-1  誓願寺

09.04.26.撮影

09.04.26.撮影

09.04.26.撮影

09.04.26.撮影



「建物」編



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誓願寺・概説
 (誓願寺)被爆した水盤石・吊灯篭
 (誓願寺)イチョウの垂乳
  策伝庵
  策伝会 2009年
  策伝会 2011年





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