策伝会 2011年

  西区三滝本町の誓願寺で催された「策伝会2011年」です。
  広島の誓願寺は、紫雲山光照院と号し、浄土宗西山派に属し、開祖は策伝上人(1554-1642)と云われています。
策伝上人は隠居後、(京都の浄土宗西山深草派総本山)誓願寺塔頭竹林院に住みそこに草庵を構え安楽庵と号し、茶道をたしなみ狂歌を作り、笑いを取り入れた説教を行ったそうです。文人、茶人として知られ、豊臣秀吉 (1536-1598)や当代の文人たちと交遊しそのときの交遊録である「策伝和尚送答控」を残しています。
京都所司代板倉重宗(1586-1656)は、策伝の話を聴き、あまりにもおもしろいので草子に作るよう要請しました、依頼を受た、策伝は八巻の草子をまとめ『醒睡笑』と名付けて1628(寛永5)年板倉重宗に献呈しました。その序文には、「策伝某小僧の時より耳にふれておもしろくをかしかりつる事を、反故の端にとめ置きたり」とあり、読み返していると「おのづから睡(ねむり)を醒(さま)して笑う」ので、草子を「醒睡笑(せいすいしょう)」と名付けたとあります。「醒睡笑」は42項目に分類された千余りの話が収められ、落語の原話や小話の多くが「醒睡笑」を種本として用いられることとなり策伝は「落語の祖」と称されるようになったそうです。
2009年の策伝会が(わたしは)はじめてで、昨(2010)年、今(2011)年と3回目になりました。
ご住職(広瀬隆慶和尚)による田部忌法要が行われ、その後、3月11日起った東日本大震災で亡くなった方々、行方不明になっておられる多くの方のこと、いまだ不自由をされている被災された方々の事を思えば、策伝会を行っていいものか迷った事を話されました。しかし、沈んでばかりではなく、楽しい時を持ってこれからの活力にすることもいいのではと、策伝会を行うことを決めたそうで、いよいよはじまりました。
前座として広島演芸協会の善亭ぶ生、柱笑福の話を聴いた後、いよいよ真打登場で上方落語協会所属:露の団四郎の「夢八」を前の方の席で聴きました。話も面白かったのですが、最後の百面相はなかなかのもので、腹を抱えて笑うものもありました。
亀を演じた時の顔は、(亀というよりも東日本大震災復興構想会議・議長代理にも就任している建築家・安藤忠雄にそっくりだと、会場の中では恐らく一人だったでしょう?が)、思いっきり腹をかかえて笑いました。
敬称は略しました 11.04.25裕・記編集

11.04.24.撮影
広島市西区三滝本町1丁目17-1 誓願寺

11.04.24.撮影
つゆの だんしろう
露の 團四郎
(1955-   )
落語家。福岡県出身。県立戸畑工業高校出身。出囃子:炭坑節、 紋:桔梗。
1977(昭和52)年(二世)露の五郎兵衛に入門。翌(昭和53)年京都会館での「露の五郎30周年リサイタル」で初舞台。 師匠譲りの怪談噺が得意。落語の他、百面相、腹話術、上方にわかでは1986(昭和61)年四代目一輪亭花咲(いちりんてい はなさく)を襲名。上方落語協会会員。出囃子は出身地福岡に由来しているそうです
※資料は、ウィキペディア他を参考にしました
2011年4月24日、露の団四郎の演目は「夢八」でした
  しょっちゅう夢ばっかり見ている八兵衛こと夢八が、呼び出されて甚兵衛さんの家を訪ねた、何の用かと思ったらアルバイトを世話してくれるらしい。聞けば、「ツリ」のお供をして一晩過ごすだけでいいのだそうだ。アホでもできる楽な仕事だというので即引き受けます。
その足で現場へ連れて行かれ、重箱(弁当)と割木(≒たきぎ)を持たされ一軒の小屋へ放り込まれる。眠気覚ましに割木で床を打ち鳴らし、弁当(よく浸んだ高野豆腐やおにぎり)を食いながら夜が更けゆくにつれ、目の前に吊ってあるムシロが気になり、フッと覗くと首吊り死体がブラリ。ツリのお供は「釣り」ではなく「首吊り」の見張り番だったのです。
その長屋に住む老猫(バケ猫)が、首吊り死体をみた、八っつぁんを怖がらそうと死体に息を吹きかけると、死体がしゃべり始め「伊勢音頭歌え〜。」「知らんわい。そんなん。知らん。歌わん。」「歌わなんだら、そこに行って頬べたねぶるぞ〜。」「あわわわわ〜歌いますう〜歌います。」と震えながら「伊勢はな〜。津でもつ〜。」と歌うと死体が「あ〜よいよい。」と合の手をとる。「やーとこせ〜。よいやな〜。」と続けるとこれまた「ありゃりゃ。これわいさ。ささ、なんでもせ〜。」と踊りだし、綱が切れて死体が前に落ちて来る。夢八は「ウ〜ン。」と気を失う。
翌朝、甚兵衛が長屋のおかみに「昨夜はどうやった。」と聞くと、「なんや。やかましいお方だすなあ。トントンやってはったけど、朝方シン〜〜となってしまいましたで。」との返事。「あいつ寝てまいよったんかいな。また夢見てけつかるな。」と急ぎ家の中に入ると「あれ!なんじゃこれは??首吊りと一緒に寝とるで!こわないのかいな。これ起きんかいな。これ!」 すると夢八「ああ〜〜歌う歌う。伊勢はなあ〜。津でもつ。津は・・・・」「あ、こいつ伊勢参りの夢見とる。」
※縄を手ぬぐいで綯(な)い首にかけるしぐさは滑稽で、師匠・露の五郎に稽古を付けてもらったというそのこととともに滑稽さがよく出ていました。
(話が終わった後)百面相

11.04.24.撮影

11.04.24.撮影
恵比須さま  (座布団が鯛) 大黒さま  (顔は変わらぬが顎ひげが違うと)

11.04.24.撮影

11.04.24.撮影
何でしょう? そっくりでした。(答えは下段に) 火星人 (化繊を付けている人?)

11.04.24.撮影

11.04.24.撮影
妙齢?の中国人 兎と亀の競争に勝った?ウサギ

11.04.24.撮影

11.04.24.撮影
兎と亀の競争に負けた?亀(ではなく安藤忠雄の面相?) 段々茹でられていく蛸
ムンクの叫び 「叫び」、ノルウェーの画家エドヴァルド・ムンク(1863-1944)が1893年(画法: 油彩、パステル)、1895年(画法: リトグラフ)、1910年(画法: テンペラ)に制作した絵画作品。同じ題名、同じ構図による個別の4点が存在する。日本ではムンクの名と併せて「ムンクの『叫び』」と呼ばれることも多い。
幼少期に母親を亡くし、思春期に妹の死を迎えるなど病気や死と直面せざるを得なかった1890年代のムンクが、「愛」と「死」とそれらがもたらす「不安」をテーマとして制作し、「フリーズ・オブ・ライフ(生命のフリーズ)」と称した作品群のうちの一作です。
あんどうただお
安藤忠雄
(1941-   )
建築家。大阪府生まれ。工業高校を卒業後、プロボクサーを経て独学で建築を学ぶ。1960年代に日本一周の旅行と二度のヨーロッパへの旅を行い、さまざまな建築を体験する。
1969(昭和44)年安藤忠雄建築研究所を設立。1976(昭和51)年住吉の長屋(特徴:部屋を移動するのに屋根のない中庭を通らないといけない平面構成)を発表、基本的なデザインは、ル・コルビュジエ(1887-1965)やルイス・カーン(1901-1974)のモダニズムを継承。一方、近代的な素材に幾何学的秩序を与えながら、必ずしも機能的とはいえない動線は、近代を乗り越える試みとして考えられています。
世界的な建築家として認知され、海外から評価される場合、余分な飾りを完全に取ったシンプルな機能に徹したミニマリズムや自然との関係から、禅の庭や茶室など、日本の伝統にも言及される。エール大学、コロンビア大学、ハーバード大学客員教授をつとめ、1997(平成9)年東京大学教授(2003年退官)。
建築界にとどまらず、社会的な影響力をもつ。1995(平成7)年の阪神・淡路大震災の後、緑を増やすグリーンネットワークの植樹運動を開始し、その輪を広げつつある。日本建築学会賞、日本芸術院賞、吉田五十八賞、プリツカー賞、イギリス王立建築家協会ゴールドメダル、アルバ・アールト賞などを受賞。2003(平成15)年文化功労者。



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