(三滝寺三十三観音の)一番観音

  西区三滝本町に安置されている「(三滝寺三十三観音)一番観音」です。
ここ三瀧寺にも、西国三十三所の観音菩薩巡礼をならい、磨崖佛三十三観音が江戸時代初期に彫られ、すべて現存しているそうですが、(わたしは)それらの巡礼ができる案内資料がないとはいえ、いまだ怠っていますので、この一番観音しかお参りしていません。
718(養老2)年長谷寺開基の徳道上人が病で生死をさまよっていた時の閻魔大王から「苦しむ人々を救うための三十三観音霊場を創り、広めよ」と告げられたのが西国33ヵ所巡礼の始まりだそうです。
(まがい)
磨崖;摩崖
自然の懸崖(けんがい)または大石の表面を磨いて、文字・画像などを陰刻または浮き彫りにしたもの。
(まがいぶつ)
磨崖(摩崖)仏:
自然の懸崖または大石に仏像を彫刻したもの。インド・中国に多く、日本では平安時代に製作された大分県臼杵(うすき)・栃木県大谷(おおや)のものが有名。
現在、擁壁が新設された住宅地に造成されていますが、三瀧寺の旧参道に一番観音、十丁標石が残されています。
この観音様は、三瀧寺にお参りに来た人たちを見守っていたのでしょう、いまもその磨崖佛が残されています。
以前三篠公民館のOさんから頂いた広島市西区区政振興課発行「歴史ガイドブック:みたき」をみていたら磨崖仏三十三観音は、全て現存しますとありました。
2011年になって、十丁標石と一番観音を別々の頁に再編集しましたので、三十三観音の一番観音だけでは余りにも情けないので、せめてガイドブックに写真入りで紹介がある二番、三番、五番観音を掲載しようと思ったのです。
しかし、参道沿いで探すとなると地理にも疎い(わたしには)厄介な事だと思って、西区区政振興課に「だいたいの地番でいいので教えていただけませんかと」尋ねたのです。担当者のF氏が親切に教えてくださった処では『(わたしが、思っていた)境内外の参道沿いではなく、一番観音だけが境内外に位置し、他は、境内に入ってからで本堂までの参道に沿って摩崖仏があるということでした。』ので、機会をみて訪ね撮影しようと思ったのです。
11.01.29再編集   04.12.04裕・記編集
    関連頁:(近くの擁壁に埋込まれた丁石を見逃さないように)十丁標石

10.04.25撮影
広島市西区三滝本町2

04.11.20撮影
自然石に刻まれた一番観音 (いまは、周りはコンクリート擁壁になっています)

04.11.20撮影
観音像が彫られた上に一番と刻まれています
(一番観音の)盃状穴
  西区三滝本町に安置されている(三滝寺三十三観音)一番観音前の供物石にある「盃状穴」です。
盃状穴石は、古墳時代(西暦250年〜550年頃)石棺の蓋石に使用された遺物と推定されています。一説では子孫繁栄と五穀豊穣を願った説や陰陽の陰の説があります。
ここ一番観音の前の石に盃状穴と思われる穴がありました。
2004年交流ウォークで(わたしは)はじめてこの一番観音をみてから、それ以後何度かお参りしましたが、2010年になって、観音さまが刻まれている石の前の石に、盃状穴と思われる穴に気が付いたので、撮影しこの頁を再編集しました。

10.04.25撮影
磨崖佛・一番観音

10.04.25撮影

10.04.25撮影



「三瀧寺附近」編


「盃状穴」編



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