ひじりがおか
聖ヶ丘

 
  西区三滝本町の三滝本町第三公園下にある広場「聖ヶ丘」です。 
昭和12(1937)年、広瀬精一氏(昭和54年に83歳歿)により、親鸞聖人の立像がこの聖が丘に建立される。
昭和20(1945)年8月6日、人類史上はじめて原子爆弾が広島に投下され、
爆心地から2kmにあたるこの親鸞聖人像も被爆する。
昭和30(1955)年、この像は「ノーモアヒロシマ」を世界に訴えるためニューヨークに移され、現在のニューヨーク仏教会に安置される。広瀬氏はその台座に松若丸と呼ばれていた頃の童形像を安置し、像と共に用地を広島市に寄贈される。
被爆50周年を迎えた平成7(1995)年、童形像は、市内中区寺町の(本願寺)広島別院へ移設され、台座は、被爆の証としてこの地に残される。
広島市
2004年交流ウォークではじめて知った聖ヶ丘でした。
2006年の時はチト違った目でみました、聖ヶ丘の石碑、親鸞聖人像台座に取り付けてあった親鸞聖人の説いた言葉さっぱりわからなかったので帰宅後少し調べてて、三滝本町第三公園の頁から分離独立させました。
07.06.01分離更新    04.12.04裕・編集
   関連頁:三滝本町第三公園

06.11.18.撮影

04.11.20.撮影
広島市西区三滝本町2-20 (三滝本町第三公園下)

04.11.20.撮影
現在は台座が残されています

06.11.18.撮影
(親鸞聖人)越後の配所(罪を得て流された場所)に如来の本願を説き給ふ
至心楽欲生
たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽(ししんしんぎょう=阿弥陀仏を心から信じて疑わないこと)して、わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ。ただ五逆と誹謗正法とをば除く。
(台座に嵌め込まれた至心楽欲生の板)
聖ヶ丘 童心園 園歌
春は梅、夏は雲、秋は紅葉、冬は雪、眺めつきせぬ丘のうへ・・・・童心園、わらべ心乃・・・



被爆した建物・構築物」編



広島ぶらり散歩
「三瀧寺附近」編・全体





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