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西区三滝本町の三滝墓苑に建立されている「(三原)浅野家之墓」です。 |
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正面:淺野家之墓
側面:備後三原之城主浅淺野忠真娘 廣嶋之産也六十一歳卒
裏面:曜珠院夏屋壽栄童女の他7名の童女、法尼が刻まれています |
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1619(元和5)年浅野長晟が紀伊和歌山から広島に入り、三原城(1580年小早川隆景が築城)には浅野家筆頭家老・浅野忠吉(1592-1660:浅野長政の従兄弟)が紀伊新宮より入り、代々相続して明治に至りました。
1615(元和元)年の一国一城令の際にも三原城の存続は認められていましたが、あくまでも安芸広島城の支城として筆頭家老が常駐したものであり、三原藩とは云えないそうです。 |
三滝墓苑を、(わたしは)2001年に三滝無縁仏供養塔を訪ねたことはあったのですが、2004年11月の交流ウォークでこの浅野分家で(三原三代)浅野忠の姫(61歳で没した)の墓があることを教えていただいたのです。
墓標に刻まれた文字をみると、三原・浅野家忠真娘の墓で、8名の子どもたちがこのお墓を建立したものなのではと(わたしは)思いましたので、今(2010年)回頁を分離独立、再編集しました。 |
10.12.05再編集 04.12.04裕・記編集 |