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| 何度か訪ねている三滝寺です、原爆関連慰霊碑を主にみてきましたが、多くの歌碑、句碑、詩碑が建立されています。三瀧寺発行「安藝之國 三瀧寺観音参詣案内圖」を購入しそこに紹介されている文学碑を今回みていこうとしました。どうもこの歳になるまで勉強してこなかったツケというものが影を落とし、碑を拝見しても読めないのです。この案内図には、わたしが読めない短歌、俳句、詩が紹介してあるのです。 |
中村汀女が俳人であることは知っていましたが、代表的な句などは知らぬわたしでした。
案内図をみると三瀧寺にも句碑が建立されている事を知りました。多宝塔は何度か撮影し、原爆関連慰霊碑として取り上げていましたが、多宝塔にいく石段を昇り右手に碑があります、この碑に汀女の句が刻まれていることは知りませんでした、表・側面・裏面をみましたが中村汀女の名前は刻まれていないようで、三瀧寺発行の案内図でこの句が中村汀女の句碑ということがわかりました。 |
| 07.12.10裕・記編集 |
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’07.11.21撮影 |
| 広島市西区三瀧山411 三滝寺境内・多宝塔付近 |
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’07.11.21撮影 |
父
母
恋
へ
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花
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山
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なかむら ていじょ
中村汀女
(1900-1988) |
俳人。熊本生まれ。本名、破魔子。1918(大正7)年熊本県立高等女学校補習科卒業。
熊本市出身の大蔵官僚・中村重喜と結婚、夫の転勤とともに国内各地(東京、仙台、名古屋など)を転々とする。
1934(昭和9)年同人となる。日常生活を柔軟な詩情を込めて表現した。句集「春雪」「花影」など。1947(昭和22)年俳誌「風花」創刊。。「外にも出よ 触るるばかりに 春の月」などの俳句がある。 |
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