大東亜戦連合軍戦死歿者供養碑

  西区三瀧山の三滝寺に建立されている「大東亜戦連合軍戦死歿者供養碑」です。
建立時期はこの連合軍慰霊碑が1955(昭和30)年で、根際の第二次世界大戦戦争犯罪者慰霊十三重塔が1953(昭和28)年であることを考えれば、占領状態から独立を回復した日本国が、米国を主体にした連合国の戦没者の慰霊碑も建立しなくてはと考えたのではと(わたしは)思ったのですが。
の碑を建立した趣旨は、この碑よりも後年に建立された(五日市・正向寺で頭を垂れ拝見した)怨親平等・碑と考えは同じようなことで建立されたのではないかと考えたのです。
1945(昭和20)年8月14日、日本政府はポツダム宣言を受諾、翌8月15日「終戦の詔書」で日本は降伏。
その時から、1952(昭和27)年4月28日のサンフランシスコ対日講和条約の発効で、戦争状態は終結される事になるまで日本は連合軍の占領下に置かれました。
  三瀧寺発行「安藝之國:三瀧寺観音参詣案内圖」に書かれた「第二次世界大戦戦争犯罪者慰霊十三重塔」とこの「連合軍慰霊碑」が建立されている事を知り撮影しました。
2007年撮影してこの頁を編集しました。
2015年久しぶりに三滝地区に建立の碑を撮影しました。
この供養碑も撮影しましたので、掲載画像を追加し、この頁を更新しました。
15.07.27.更新      08.01.24裕・記編集
   関連頁:(根際に建立の)第二次世界大戦戦争犯罪者慰霊十三重塔

07.11.21.撮影
広島市西区三瀧山411 三滝寺   (「連合軍慰霊碑」と「第二次世界大戦戦争犯罪者慰霊十三重塔」)

07.11.21.撮影

07.12.08.撮影

15.07.12.撮影
大東亜戦連合軍戦死歿者供養碑 昭和三十(1955)年十一月 ■   
(■は建立者か?削り取られていますので不明です



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