大東亜戦連合軍戦死歿者供養碑

  三瀧寺発行「安藝之國 三瀧寺観音参詣案内圖」に書かれた『第二次世界大戦戦争犯罪者慰霊十三重塔』とこの『連合軍慰霊碑』を知り撮影しました。
建立時期はこの連合軍慰霊碑が昭和30(1955)年で、根際の第二次世界大戦戦争犯罪者慰霊十三重塔が昭和28(1953)年であることを考えれば、占領状態から独立を回復した日本国が、米国を主体にした連合国の戦没者の慰霊碑も建立しなくてはと考えたのではと思ったのですが・・・・この碑を建立した趣旨は、この碑よりも後年に建立された(五日市・正向寺で頭を垂れ拝見した)
怨親平等・碑と考えは同じようなことで建立されたのではないかと考えたのです、わたしは。
昭和20(1945)年8月14日、日本政府はポツダム宣言を受諾、翌8月15日「終戦の詔書」で日本は降伏その時から、昭和27(1952)年4月28日のサンフランシスコ対日講和条約の発効で、戦争状態は終結される事になるまで日本は連合軍の占領下に置かれました。
08.01.24裕・記編集
   関連頁:(根際に建立の)第二次世界大戦戦争犯罪者慰霊十三重塔

’07.11.21撮影
広島市西区三瀧山411 三滝寺

’07.12.08撮影

’07.12.08撮影
十字架碑と十三重塔と碑文 大東亜戦連合軍戦死歿者供養碑 昭和30(1955)年11月■
■は削り取られていますので不明です



「平和祈念碑等建立地一覧」編



広島ぶらり散歩へ
広島ぶらり散歩「三瀧寺附近」編・全体





SEO [PR] 冠婚葬祭  冷え対策 わけあり商品 動画無料レンタルサーバー ブログ SEO