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南区仁保の旧道沿いにある「大銀杏」です。
※この大銀杏は、江戸時代から銘木という事で、頼山陽と頼杏坪が詠んだ漢詩が残っています。 |
昭和4(1929)年発行「仁保村志」にこのイチョウに関して次のようにあります。
『柞木銀杏家(現戸主・渡部謙太郎氏)の庭に有名なる銀杏の巨木あり、樹齢幾何なるやを詳にせずと雖就いて之を測るに周圍目通り十六尺(≒4.8m)地上は實に三十一尺七寸(≒9.6m)に及ぶ、高さ百二三十尺(≒36m〜≒39m)、勃然欝茂し、轟として雲を凌ぎ、枝葉蒙蘢根柢九地の深きに達し、据然として何物をも威壓せずんばやまざるの趣あり。
北側にも尚一株あり、是は大分後に栽ゑたるもののよし、梅、樫など亦稀有の名木にして年所を歴たること銀杏と相如けり。』とあります。 |
一
株
銀
杏
是
君
家
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茅
舎
荻
籬
難
物
色
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中
有
漁
村
街
巷
斜
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分
流
野
水
状
爲
Y
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頼
襄
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過
柞
村
渡
部
氏
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水
南
知
有
逋
仙
家
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竹
裡
鶴
鳴
心
自
喜
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數
里
探
梅
村
逕
斜
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餘
寒
勒
雪
滿
山
Y
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杏
坪
柔
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探
梅
到
柞
村
渡
部
氏
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戊辰早春文化5(1808)年柞村渡部氏過ぎる時
*頼山陽(1780-1832)の名が襄(のぼる)
*頼杏坪(1756-1834)の名が惟柔(ただなご)
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ア:
Y: |
[字源]象形、木の先が分かれた形
@もと-2 Aアゲマキ。つの髪。揚げ巻 |
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Yの字(他の字もですが)が分かりませんでしたので漢和辞典を引きました。 |
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2004年交流ウォークの時に江戸時代、頼一族がこの地を訪れ詩や画を残したと教えていただいた仁保の大銀杏でした。
大きくなり過ぎて落葉などの処理からか頭を伐られていました。 |
2008年になって「仁保村志」をみると仁保村の名木として項目を設けて解説しており、頼山陽(1780-1832)と頼杏坪(1756-1834)の漢詩が掲載してありました、正確に読み下せないわたしですが、漢字を漢和辞典で引きながらそれとなくイチョウの木を愛でたのかなと。そして、江戸時代は鶴が鳴く仁保・柞村であったのかと思ったので追記、再編集しました。 |
2010年交流ウォーク下見で訪ねた時はまだ落葉していませんでした。2004年はじめてみた落葉したイチョウとは違っていましたので撮影していたのです。今(2011年)回HPを引越していますので、その時の画像を追加しました。 |
11.10.17更新 04.12.28裕・記編集 |