生活資料館・仁保島村

  南区仁保に設置されている「生活資料館・仁保島村」です。
※明治以降現代までの各種道具類が展示されていますので、これを中心にこの頁を編集しています。
  しかし、主目的はハワイ移民資料館として設置された資料館なのです。
  ハワイ移民の歴史、広島県が移民を送出した背景、ハワイ移民がもたらした文化等がテーマになっています。
生活資料館・仁保島村は、川崎壽氏による個人運営の資料館です。
見学希望者は、事前の連絡が必要だそうです。TEL:082-286-6331(入館料は、無料)
その昔、仁保は仁保島といって、黄金山(221.7m)を主峰とする広島湾に浮かぶ島のひとつでした。
古文書によると香島(ニホウシマ)あるいは香州などという地名が見られ、やがて「邇保島」「仁保島」となったそうです。
1662(寛文2)年に浅野藩による新田開発の干拓で陸続きになりました。
昔この地は、廣島県安藝郡仁保島村といわれていたそうで、1917(大正6)年仁保村と改称。
1929(昭和4)年4月1日広島市に編入されました。
現在、仁保島の名は町名には残っていませんが、仁保1丁目などと「仁保」としていまもその名はとどめてはいます。
この民間の資料館名の由来が仁保島村から付けられたそうです。
館長の川崎壽氏の熱を帯びた説明を聞きながら懐かしいもののオンパレードで、写真を撮ることよりも観てしまいました。
わたしの亡きおやじが仁保出身で、親戚筋が米国へ移民して行ったことは聞いていましたが、詳しく聞いていなかったことを、今になって悔やむばかりです。
04.12.27裕・記編集

04.12.11撮影
広島市南区仁保3丁目17-6   道標:仁保町渕崎字祚木

04.12.11撮影
狭い坂道を登ってこの資料館に辿りつきます

04.12.11撮影

04.12.11撮影
資料館正面 中庭で館長・川崎氏のお話を伺う

04.12.11撮影
レコードプレイヤー・ラジオ・(白黒)テレビジョン・時計などなど・・・・

04.12.11撮影
電話機・(白黒)テレビジョン・蓄音機などなど今でも使用可とのことで子供は触り放題とか・・・

04.12.11撮影
エジソンの電球
1872(明治12)年トーマス・エジソンが実用的な電球を発明しました。
フィラメントは竹製で寿命は数十時間(※現在は約1000時間)でした。トーマス・エジソンが日本の京都府八幡市あたりの竹を使用したことは余りにも有名です。
ここに展示のエジソン電球はその後改良を重ね1890(明治30)年の忠実な複製(レプリカ)で、フィラメントはもちろん竹製(直径0.3mm)です。
なお竹製フィラメント電球は1895(明治35)年くらいまで制作されていました。
『この電球は米国チャールズ・エジソン財団が作成し京都男山エジソン協会が入手したものを会長の好意で譲り受けたものです。』
だそうで、この電球も興味津々(わたしは)みいっていましました。



「資料館など」編



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生活資料館・仁保島村
  (館内の)手押しポンプ
  (館前の)丸型ポスト
  (館の)駕籠





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