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南区仁保の竈神社に建立されている「忠魂碑」です |
忠魂碑 陸軍大将 一戸兵衛※ 書
大正拾五(1926)年九月建之 |
■清戰没戦死者1名、日清戰没死者小谷大四郎、奥野継一郎の2名、日露戰没戦死者荒井実一を含む8名。
日清、北清、日露戰役出征兵士氏名97名わたしの(数え間違いがなければ) |
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竃神社下に建立されている忠魂碑です。
2004年交流ウォークではじめてこの忠魂碑を知りましたわたしは、今(2007年)回交流ウォーク探検隊のときに、もう少しよく見ようとしましたが、碑の高い位置の文字がよく読めなくて、最初の、戦役名、戦死者1名、日露戦で亡くなった方の全員のお名前を読みとけませんでした、亡くなった方々のお名前を読めなかったことを詫び瞼を閉じましたが、竃神社の頁に一緒に編集していましたが、今回分離独立した頁にしました。 |
08.03.11再編集 04.12.29裕編集 |
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07.12.01.撮影 |
広島市南区仁保一丁目16-14 (竃神社境内) |
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04.12.11.撮影 |

04.12.11.撮影 |
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(いちのへ ひょうえ)
一戸 兵衛:
(1855 -1931) |
日本陸軍の軍人。弘前藩士の長男.。陸軍兵学寮(陸軍士官学校)卒。
教育総監、軍事参議官、第1・第4・第17師団長を歴任。1926(大正15)年2月帝国在郷軍人会長など。陸軍大将従二位勲一等功二級 |
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