仁保尋常高等小学校跡

  南区仁保に過って建っていたという「仁保尋常高等小学校跡」を取り上げました。
*現在の仁保小学校の位置ではありません。
       旧小学校跡                       仁保郷土史会・仁保公民館
明治26(1893)年、仁保島高等小学校が、本浦尋常小学校内に設置されました。
その翌(1894)年この場所に移り、昭和12(1937)年に現在の場所(南区仁保新町2-8-30)に移転するまでの43年間存続しました。
なお、明治41(1908)年に渕崎・本浦の二小学校を合併して仁保尋常高等小学校と改称し校地も拡張されましたが、そのときの校門はこの道路に面していましたので、その頃のことを知っている人々には思いで深い場所です。
2004年この辺りに仁保尋常高等小学校があったと教えていただき、電柱に掛けてあったその説明板だけを撮影していました。
以後何度かこの前を歩いていましたが、今(2011)年交流ウォーク下見の時に、説明板周りの情景(1937年に移転していますので残り香は何もありませんが)を撮影しましたので画像を追加しました。
11.0.09更新    05.01.04裕・編集

11.01.15撮影
広島市南区仁保1-10

04.12.11撮影
仁保郷土史会の説明板がなければただ通り過ぎるだけだったでしょう

11.01.15撮影
旧小学校の残り香は現在では何もありません
仁保小学校略沿革
1873 明治6年2月 西福寺(安芸郡仁保島村)に童蒙舎を創立
1874 明治7年4月 本浦に仁富舎を創立
1929 昭和4年4月 広島市編入により広島市仁保尋常高等小学校と校名変更
1937 昭和12年9月 淵崎より現在地(広島市南区仁保新町2-8-30)に校舎を移転
1941 昭和16年4月 広島市仁保国民学校と校名改称
1945 昭和20年8月6日 原爆弾により校舎の屋根および窓の破損、被爆者収容所として校舎開放
1947 昭和22年4月 広島市立仁保小学校と校名変更
※仁保小学校の資料を参考にしました
尋常小学校(じんじょうしょうがっこう)
  1886(明治19)年小学校令により設置され、満六歳以上の児童に初等普通教育を施した義務制の小学校。期間は最初四年、1907年から六年。1941年(昭和16)国民学校令により国民学校初等科と改称された。
高等小学校(こうとうしょうがっこう)
  旧制で、尋常小学校卒業者にさらに程度の高い初等教育を施す学校。修業年限は初め四年、のち二年。義務制ではない。高等科。



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