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旧・本殿、拝殿の竣工は、享保年間(1716-1736)だったそうですが、2007(平成19)年9月27日午前1時半ころ出火、本殿や社務所などを焼失(全焼)してしまいました。爆心地から≒3620mで被爆した貴重な被爆建物でもありましたので驚き、実に残念に思っています。 |
被爆建物 A-bombed Building |
被爆時の名称 邇保姫神社(Nihohime Shrine) (爆心地から3,620m)
階段上の手水舎は、昭和20(1945)年8月6日の原爆にも耐え、その姿を今日に残っています。 |
広島市 |
*shrine:[名] 聖堂, 廟;祭壇, 礼拝堂, 教会, 神殿, 神社 (日本の神社。寺院は通例
temple) |
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被爆した建物としての邇保姫神社は、広島市の「被爆建物のリスト」から除外されるものと(わたしは)思っていたのですが、ここで取り上げた手水舎が焼失から免れたことから、この手水舎を被爆した建物として(現在)記述しています。
爆心地より≒3620m (被爆当時町名:仁保町) |
2004年交流ウォークで訪ねた邇保姫神社でした。参拝後、社殿を撮影して被爆建物の頁に加えたのです。
その時、まさか焼失で社殿が無くなること(手水舎が焼失を免れる)事など考える事は(わたしは)想像だにしませんでしたので、被爆建物の頁に編集できる事だけを考え社殿を撮影したのです。また、手水舎が残り邇保姫神社唯一の被爆建物になろうなどとは考えていませんでしたので、いろいろな角度から撮影しませんでした。 |
2007年焼失後、はじめて参拝した時に、手水舎と仮社殿になっていたテントを撮影していました。
(これが被爆した手水舎のもともとの位置です) |
復興事業で再建された社殿等を、2011年1月交流ウォークで訪ねた時に(復元された)手水舎を撮影しました。
(現在の手水舎は、元の境内高さから約6mほど低くした新しい境内地に建てられています) |
*2010年11月邇保姫神社を参拝した時は、工事中でしたのでこの手水舎は、敷地の北東の隅に移され仮置きされていました。 |
11.01.24裕・記編集 |