(穴神社下)忠魂碑

  南区丹那町の穴神社参道下に建立されている「忠魂碑」です。
2004(平成16)年交流ウォークのときに立ち寄った時に、この忠魂碑をみて撮影しました。
おじさんの原爆記関連の資料として軍都廣島の施設などを訪ねていたときでしたので目に留まったのです。
日清戦争から北清事変、日露戦争へと続き太平洋戦争へと突き進もうとしていたときに建立された忠魂碑だったのだろうと思ったのです。
そのときは気がつかなかった根際の忠魂之碑があることを2007年暮れ交流ウォーク探検隊として訪ねたときに気がつきましたので、別頁に編集しています。
08.01.15再編集    05.01.03裕・記編集

07.12.01.撮影
広島市南区丹那町23-11 穴神社 (忠魂之碑と忠魂碑)

04.12.11.撮影
忠魂碑 陸軍大将  大迫尚道謹書 戰死病歿者並戰役従軍者
日清戦争、北清事変、日露戦争の文字が読めます
大迫尚道(おおさこ なおみち:1854−1934)
陸軍軍人。薩摩(鹿児島県)出身。陸軍士官学校卒。
駐ドイツ公使館付武官。陸軍大学校教官などののち、日清戦争では第一軍参謀。日露戦争では第二軍参謀長。第十八師団長、第四師団長などを歴任。大正4年軍事参議官,陸軍大将。
1919(大正8)年7月後備役編入。 退役後は教化団体「大日本救世団」を組織し、愛国思想の鼓吹に努める。
この碑の建立年がわたしには読み解けませんでしたが、大迫の揮毫から推測すると、第五師団に関わっていないようですので、1919年以降の建立と思っています。

04.12.11.撮影



「軍都・廣島関連施設戦跡」編



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 忠魂碑
 忠魂之碑





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