(穴神社下)丹那區忠魂之碑

  碑正面に忠魂□碑  側面に明治三十九年八月建之 丹那區  他方側に明治28年、明治37年 と刻まれています。明治28(1895)年、明治37(1904)年に続けて文字が刻まれていますが不明瞭になっていて読めませんでした。
2004年交流ウォークのときに大きい「忠魂碑」をみて頁にしていたのですが、今(2007年12月)回交流ウォーク探検隊で片岡会長とご一緒したときに鳥居の反対側に小さな忠魂碑をみたのですが「忠魂□碑」□は??と思ったのです、が止の字かなと思ったのです・・・漢和辞典を引くと、止のところの(字源)に趾の原字とあるので、忠魂趾碑であるのかなと思ったのですが確信はありません。
この碑銘の読み方がわたしにはわからなかったので、交流ウォーク・藤井先生にお聞きしたところ「忠魂坐碑」と読むのがその意味からも自然ではと教えていただいたのです。しかし、国語を専門に勉強したこともないわたしですが、どうみても座とは思えないということで「止」ではないかと編集したのです。今日、図書館で「広島の石碑」という市教育委員会発行の冊子をみていたらこの碑の記述があったのです「忠魂座碑」と紹介してあったのですが、座ではなく坐※の字をわたしの頁では採用し、碑銘を訂正しましたが、どうもしっくりこなかったのです。
わたしが編集している、(草津の)養蛎之碑の「之」字と同じなのです、再度藤井先生が調べてくださり金文や篆文の「之」の字に近いとわかり、『忠魂之碑』ということでほぼ間違いなかろうとなったのです。
 08.05.02訂正    08.01.15裕・記編集

07.12.01撮影
広島市南区丹那町23-11  (忠魂止碑と忠魂碑)

07.12.26撮影
忠魂坐碑 明治二十八年五月
明治三十七年七月
明治三十七年十二月
明治三十九(1906)年八月建之 丹那區
1894 明治27年8月1日 「日清戦争」宣戦布告
1904 明治37年2月10日 「日露戦争」宣戦布告
[字源]土と人人(二人)との合字、土の上に人がふたり向きあってすわっている意。
≒すわる行為のこと
[字源]广(家)の中に人がすわ(坐)っている意。
≒すわる場所のこと
きんぶん
金文
青銅器などの金属器に刻まれた文字・文章。特に、中国殷・周代の青銅器の銘文をいう。
てんぶん
篆文
漢字の古書体の一。大篆・小篆があり、隷書・楷書のもとになった。現在は、印章などに使われる。



「軍都・廣島関連施設戦跡」編



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