最勝寺 (被爆当時:丹那説教所)

  1894(明治27)年着工、(沼田郡)狩小川村・小原小市国光棟梁のもと、大工、狩小川村・川本助四郎、(高田郡)三田村・横村宇助、材料調達・(安芸郡)上瀬野村・小川為吉により、1900(明治33)年11月に棟上が行われ、1901(明治34)年初夏ご本尊をお迎えしました。最勝寺は浄土宗本願寺派のお寺で、もと(渕崎の)西福寺の説教場でありましたが、1964(昭和39)年に最勝寺と改められました。
(被爆当時は)日宇那説教所といわれていました   
爆心地から≒3950m   (被爆当時町名は仁保町)
竣工時期は1900(明治33)年、本堂、山門、庫裡構造木造平屋。
資料を見て、被爆したお寺であることを知ったのですが、現在お寺の門には鍵がかかり(ご住職が居られない)空き寺になっているのか、最勝寺使用料という貼紙が山門扉に張ってありチト沈んだ気持ちになりました。
交流ウォーク・片岡会長と訪ねたのですが、この最勝寺どこか記憶にあったのです、何年か前におばさんの葬儀があったお寺だったと思い当たったのです、そのときは兄貴運転の車で連れてきてもらったので、ぼんやりとした記憶しかない場所だったのです。
※お寺の資料は楠那公民館発行「楠那学区の歴史」を参考にしました 08.02.06裕・記編集

08.02.02.撮影
広島市南区丹那町37-13

07.12.26.撮影

08.02.02.撮影
山門・扉には鍵がかかり隙間から本堂を写したのですが・・・

07.12.26.撮影

07.12.26.撮影
裏山から庫裡、本堂の屋根しかみえませんでしたが・・・



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