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南区仁保の民家でみた「長屋門」を取り上げました。 |
2011(平成23)年1月21日NHk教育「美の壺」をみていると、‘長屋門の構えに格式あり’ということで長屋門を取り上げていましたので、仁保でみた長屋門をわたしの頁でも編集しようと思ったのです。 |
その番組では
『「長屋門」は、横に細長い独特の形で、脇の部分は人が暮らす部屋となっていました。長屋門は、武家屋敷の門を代表する様式で、門番や家臣の住む長屋を兼ねていた門です。江戸時代、身分や禄高に応じて門の形は厳密に定められていました。特に両脇にある番所の形が、家の格を表していたのです。
江戸時代も終わりごろになると、各地の有力な豪農たちも「長屋門」を構えることが許されるようになりました。』などなどと云っていました。 |
(ながやもん)
長屋門: |
武家屋敷でみられた門の形式。門の両側が長屋となっており、そこに家臣や下男を住まわせたもの。富裕な農家にもみられた。
明治以後の長屋門では、門の両側部分は使用人の住居・納屋・作業所などに利用されたそうです。 |
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2004年交流ウォークでもこの辺りを通っていたのですが、(わたしは)注目してみていませんでした、2010年交流ウォーク下見の時に長屋門だなと撮影しているときに、家人が門から出てこられたので、尋ねると明治初期に建てられたと聞いているということでしたので、この頁を編集しました。 |
2018年に訪ねた播州赤穂、あの大石邸でも長屋門を見たのです。18.08.10.追記 |
関連頁:)大石邸長屋門 |
11.03.21裕・記編集 |