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西区己斐西町にいまも残る「防空壕跡」です。 |
第二次世界大戦(太平洋戦争)時、1942(昭和17)年4月18日から米軍の空襲がはじまり、日本各地への空襲が激しくなり、ここ己斐地区でも(己斐駅から直線では≒500mの処などに)空襲に備えて山肌(花崗岩層)を利用した「横穴防空壕」が造られたのでしょう。 |
(ぼうくうごう)
防空壕: |
空襲のさいに待避するため、地下に設けた穴・部屋。
an air-raid shelter. 第二次世界大戦当時独空軍の爆撃を受けた英国ロンドンでは発達した地下鉄を防空壕として使用したそうです。 |
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2008年この近くの被爆した建物(爆心地から≒3010m)の浄修院を訪ねた時は、この防空壕跡には気が付かなかったのです。
2010年交流ウォーク下見の時、己斐古城から下って浄修院に行っていた時に気が付き撮影したのです。
以前、蓮照寺近くで防空壕跡と思われる穴をみていましたので、(風化)花崗岩層の山肌を利用してここ己斐地区には戦時中防空壕が造られたのだろうと思っていましたので、防空壕がこういう形での遺っていたのかと撮影しました。
内部を立て札を無視して撮影できなくはないように思いましたが、外からだけの撮影にしました。 |
2012年にも(外からだけ)撮影していました。撮影画像を整理している2015年のいまになりましたが、この頁を更新しました。 |
15.03.13.更新 11.02.24.裕・記編集 |