通玄(山)観音堂
  西区己斐上に建てられている「通玄山観音堂」です。
(広島市)西区役所区政振興課発行「己斐ぶらり旅絵図」によると
浅野藩士・寺西織部信之(1616-1687)が晩年己斐村に寓居し、延宝2(1674)年加加桑山麓に「養志庵」「通玄堂」等を建立したと云われ、これらと何らかの繋がりがあると推測できますが、文政2(1819)年己斐村から提出した「書出帳」には記載がないので、この通玄山観音堂の由来は詳らかではありません。』と紹介しています。
(ぐうきょ)
寓居:
1)一時的に身を寄せること。また、その住まい。仮住まい。仮寓。
2)自分の家をへりくだっていう語。
書出帳: 「国郡志御用ニ付下調べ書出帳」のことです。
江戸時代後期、藩命によって編集作成され、広島浅野藩が『芸藩通志』編纂資料としたものです。
2007年4月交流ウォークでは、(最初の画像のように)崖上の己斐中3丁目からみただけでしたので、今(2010年)回交流ウォーク探検隊時はお堂の前に行ってみようとなったのです。
「己斐ぶらり旅絵図」の案内図をみてこの辺りだと思ったのですが、わからなかったので、ちょうど居られたご近所の方に尋ねたのです。御主人がお参りした事があるのでということで、わざわざ案内してくださいました。
案内していただかなければ恐らくわからないままだったであろうと思いました。場所の説明は(土地勘がないわたしには難しいのですが)まず、八幡川トンネル放水路呑口(流入口)へ、そしてその東側の崖下沿いの道を南に行くと上る道があり、その上に石段がありフェンスの扉を開けて入ります。住居表示はないようですので、地図を見ておおよその場所は下記に記しました。
11.02.27.裕・記編集

10.04.06撮影
広島市西区己斐上1-3-26の裏・崖附近 (己斐中3-8附近から崖下の観音堂をみる)

10.04.06撮影

10.04.06撮影

10.04.06撮影
手水鉢、五輪塔、石仏像などが、お堂の前(東側擁壁下に沿って)並べられています



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