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西区己斐本町の旧西国街道沿いにある「別れの茶屋」です。 |
「別れの茶屋」は、草津港への道と西国街道へ通じる道との別れ目にあって広島城下から見送りお別れの茶屋として「お休み処」だったそうです。
江戸時代終り頃※、おばあさんが店をはじめ、名前の由来はお客さんが付けたことによるそうです。 |
※資料によっては宝暦年間(18世紀中頃)ともいわれているようですがはっきりはしていません。 |
いまはパン屋さんになっており、手作りのよもぎ餅やきび餅が別れの茶屋の名残りをとどめているそうですがお店を覗き込んだだけでした。お店の中に茶屋の主人「山崎君」の為に書いた灘尾弘吉書の額が掛けてありました。 |
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今(2010)年交流ウォークで、この別れの茶屋を訪ねた時に、己斐にお住まいのTさんがお店の方を御存じで、店の中に昭和時代初期の別れの茶屋を描いた絵があるからみせて頂こうとなったのです。
今はパン屋になっていると書いているわたしの間違いがわかりました。
御主人が店奥の調理場で餅を作っておられたので、手作りの餅というのはこの別れの茶屋で作られたものを今も販売されていたのです。
昭和10(1921)年頃までは茶屋をやっていたそうで、店内壁に掛けてある、昭和初期の絵も拝見しましたので、灘尾弘吉の額とともに別頁で編集する事にしました。 |
10.05.13更新 05.03.02裕編集 |
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