(解体された被爆した)福蔵寺の鐘楼・庫裏

  西区古江上の「福蔵寺の被爆した鐘楼、庫裏」をこの頁で取り上げました。
※2016年8月老朽化で被爆した鐘楼、庫裏が解体されました。
福蔵寺は、浄土宗のお寺で、江戸時代より山号を出生山と称しています。
創建の時代は不明。一説には奈良時代の僧・行基(ぎょうき)の創建といわれています。
鐘楼(≒8u)は1905(明治38)年竣工で、1927(昭和2)年竣工の庫裏(≒145u)と共に1945(昭和20)年8月6日被爆し、1985(昭和60)年4月改修工事が施されています。
(梵鐘本体はありません、恐らく戦時中に供出されたと思われます。)
 爆心地より≒4,200m (被爆当時町名:古江町)
福蔵寺の被爆した庫裏と鐘楼が老朽化のため解体され、広島市の被爆建物台帳から2016年8月31日付で登録抹消されたと発表されました。
今朝(2016年9月8日)中國新聞の記事で次のことを知りました。
『福蔵寺は、3年前(2013年)から無住寺となり、維持管理していた地元住民が建物(鐘楼、庫裏)の倒壊などを危ぶみ先月(8月)中旬解体した。今後、小さな庫裏を新設その中で鐘楼の柱の装飾の一部を保存公開する予定』だそうです。
2005年交流ウォークで訪ね鐘楼だけの頁で編集していましたが、2010年再び交流ウォークで訪ねましたので、庫裏を中心に撮影しましたので、福蔵寺の頁から分離させ、画像を追加してこの頁を編集しました。
2005年鐘楼を見た時、屋根を支えている力士のように思ったのでめずらしいな〜と思って撮影し、福蔵寺の頁に掲載していました。勉強不足というか仏教については今もわからないことだらけですが、明星院や日通寺など山門の柱下に抑えつけられたような人物を見て来たのですが、それらを天邪鬼(四天王に抑えつけられた鬼だけではない)という事を知ったのです。場所は違いますがここ福蔵寺のこの像も天邪鬼だったことを今頃になって知ったのです。それをこの頁に追記しました。
2016年中國新聞報道で解体されたことを知りましたので、追記しました。
ここ福蔵寺が無住のお寺になったという記事の内容にもショックを覚えています。福蔵寺は浄土宗のお寺と聞いていますので、わたしの両親が眠るお寺も浄土宗、後継者が決まっておらず将来のお寺はどうなるのかと思っていたところでしたので。
16.09.08.更新   10.05.11分離・更新   05.03.07裕記・編集

05.02.19.撮影
広島市西区古江上1‐659 福蔵寺(被爆した)鐘楼

10.05.08.撮影

05.02.19.撮影

05.02.19.撮影

05.02.19.撮影

10.05.08.撮影
(屋根を支えている力士像かとおもっていましたが)天邪鬼でした
あまのじゃく
天の邪鬼

(2)が原義
1 人の言うことやすることにわざと逆らうひねくれ者。つむじまがり。あまのじゃこ。
2 昔話に悪者として登場する鬼。「瓜子姫(うりこひめ)」に出るものが有名。記紀神話の天探女(あまのさぐめ)に由来するともいわれる。
3 仏像で四天王や仁王が踏みつけている小さな鬼。また、毘沙門天が腹部に付けている鬼面。
4 鳥キタタキの別名。

10.05.08.撮影

10.05.08.撮影
(被爆した)庫裏玄関 (被爆した)庫裏

10.05.08.撮影
1985(昭和60)年4月改修工事が行われたそうで、アルミサッシュになっています



被爆した建物・構築物」編



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福蔵寺
被爆した鐘楼・庫裏
(境内の)源範頼廟
(境内の)忠魂碑
(境内の)六地蔵尊





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