明治27・8年戦役
(日清戦争) |
1894(明治27)年8月から翌(明治28)年にかけて日本と清国の間で戦われた戦争。
朝鮮進出政策をとる日本は、宗主権を主張する清国と対立、甲午農民戦争(東学党の乱)を機に両国は朝鮮に出兵、日本軍は豊島(ほうとう)沖で清国軍艦を攻撃し開戦に至った。日本軍は平壌黄海威海衛などで勝利し、1895(明治28)年4月下関で講和条約締結。 |
(ほくしんじへん:)
北清事変 |
明治33年事変、義和団事件のこと
1899(明治32)年〜1900(明治33)年、列強の進出に抗した中国民衆の外国人排外運動。
山東省に始まった義和団の運動が華北一帯に波及、北京の列国大公使館区域を包囲攻撃するに及び、日・英・米・露・独・仏・伊・墺(オーストリア)連合軍の出兵を招き、鎮圧された。日本は1万3千の大軍を派遣という。日本では北清事変ともいう。団匪事件。 |
明治37・8年戦役:
(日露戦争) |
1904(明治37)年2月から1905(明治38)年にかけて、満州・朝鮮の支配をめぐって戦われた日本とロシアの戦争。ロシアの南下政策に対して日本は英・米の支持の下に強硬政策をとり開戦。日本軍は旅順攻略・奉天会戦・日本海海戦で勝利を収めたが、軍事的・財政的に限界に達し、ロシアでは革命運動の激化などで早期戦争終結を望み、両国は米国大統領ルーズベルトの勧告をいれて、1905(明治38)年9月ポーツマスで講和条約を締結した。 |
第一次世界大戦: |
三国同盟(独墺伊)と三国協商(英仏露)との間の帝国主義的対立や民族的対立などを背景として、ヨーロッパを中心に起こった最初の世界戦争。
1914(大正4)年6月のサラエボ事件が発端となり、ドイツ、オーストリア、トルコ、ブルガリアなどの同盟国と、イギリス、フランス、ロシア、日本、アメリカおよび三国同盟を破棄したイタリアなどの連合国とが対戦。
1914年7月28日墺(オーストリア)がセルビアに宣戦布告で開戦。1918(大正7)年11月ドイツの降伏で同盟国側が敗北し、翌(1919)年パリ講和会議でベルサイユ条約が締結された。 |
※ |
英国が日英同盟に基づき、連合国側に立っての参戦を要請。日本政府は1914(大正4)年8月23日ドイツ帝国へ宣戦布告。
11月7日日本陸軍と英軍は、ドイツ東洋艦隊の根拠地・中華民国山東省の租借地・青島と膠州湾の要塞を攻略した(青島の戦い、1914年10月31日〜11月7日)。
また、日本海軍は、太平洋のドイツの植民地だった南洋諸島(マリアナ諸島とカロリン諸島、当時は独領ニューギニアと呼ばれた)を攻略、制圧した。 |