伝説: いくさつ
軍津
  西区草津の名に繋がる伝承(伝説)をこの頁で取り上げました.
伝わるところによれば「広島市西区の草津の名は、軍津(いくさつ)と呼ばれたのにはじまるといわれています。
昔々、神武天皇・神功皇后がこの地を通られたときに、軍津と名づけられ、後に草津に転じたといわれています。
草津町内を流れる小川はむかしより御幸川と称されているのも、それにゆかりがあるのかもしれません。
(広島市が設置した)草津八幡宮によると、
古代このあたりまで、深い入江でした。草津の地名の起こりは、軍津浦輪(いくさつうらわ)すなわち軍船の寄港地であったことによる説と宇佐の神が祭られていた津、宇佐津(うさつ)などの説があります。
創建は古く飛鳥時代の終わり推古天皇の頃(625年)に宇佐八幡宮を勧請したことによると伝えられ、中世には力箭山(りきやさん)八幡宮ともいわれていました。
祭神には、宗像三女神、八幡三神他三柱が祭られています。
旧暦八月十五日の氏神祭(今は、九月末の日曜日)には、三台の神輿がせり合い「草津けんか祭」として有名でした。現在は保存会により、それが伝えられています。
(草津八幡宮設置の説明板によると)
神武東征の多紀理宮(「古事記」は多祁理宮タケリノミヤ)の伝説は当地にも残っており神社西下より御幸川の間に仮皇居が在ったという伝承があります。
また、神功皇后の朝鮮出兵の折、この地で軍船の船揃えをし、弓矢(箭)の訓練をした事に因みこの山を力箭山(りきやさん)と称し草津の旧名を軍津浦(いくさつうら)というなどの伝承があります。
2005年草津の町を訪ね、草津八幡宮を訪ねたときに設置の説明板を読んで神武天皇・神功皇后の伝説をわずかに知ったのです。
府中町の多家神社で神武天皇の東征のこと、南区の邇保姫神社で神功皇后の三韓出兵などを知り少しばかり繋がってきましたので、この伝承:軍津の頁を編集しました。
しかし、わたしはまだまだわからないことばかりです。
 08.11.27.更新    07.11.26裕・記編集

05.03.21.撮影
広島市西区田方(力箭山中腹の)草津八幡宮より眼下の草津の町をみる

07.06.18.撮影
田方の力箭山(りきやさん)と呼ばれていた山頂付近から南東側をみる

08.11.17.撮影
2008年も草津八幡宮から草津の町かた遠くになった瀬戸内海の方をみました

08.11.17.撮影



「民話・伝説」編



広島ぶらり散歩
草津八幡宮
 (草津八幡宮)凱旋碑
 (草津八幡宮)凱旋燈
伝説:軍津(いくさつ)


「(西区)草津附近」編





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