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西区草津東の(普門山)慈光寺に建てられている「御百度石」です。 |
※百度石には「吉和屋 惣兵衛」と刻まれています。 |
おひゃくど
御百度 |
願いを叶えてもらおうとする仏さまや神さまに、百回お参りして祈願すること。
お百度は普通、参道の入口から本堂までの間を往復します。百度石があればそこを基点として本堂までを往復します。 |
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吉和屋孫左衛門は草津に住し、魚などを商っており、そのころ(児玉周防守の居城)草津城に御用商人として出入りしていました。
1580(天正8)年ごろ周防守が仲人となり、将来見込みのありそうな孫左衛門と、当時毛利家のあずかりになっていた山中幸盛の娘の盛江(当時14歳)を結婚させたと伝わっています。
盛江との間に長男の彌右衛門と二男の孫兵衛(一説には鴻池家始祖山中幸元)を儲けました。
孫左衛門と盛江は吉和屋の菩提寺である浄教寺に埋葬されましたが、1937(昭和12)年に海蔵寺に改葬されたそうです。 |
2010年交流ウォーク探検隊で、訪ねたとき、ご住職と少し話ができました、その時、この御百度石は吉和屋から寄進されたものと前住職から聞いているのですということでした。
刻まれた「御百度石世話人」は深く彫られているからか今でもはっきり読めましたが、側面には寄進された月日、寄進者の名前が刻まれているのでしょうが、字が薄くなっており(わたしには)読めませんでした。他面には「吉和屋 惣兵衛」と刻まれていました。建立年は不明ですが、吉和屋→山中幸盛の娘につながる石碑であろうことはわかりました。 |
被爆した最上堂は解体されましたが、神仏習合の名残の鳥居は残されていますので、御百度石と一緒に撮影しました。 |
10.07.25裕・記編集 |