(草津南の)一本松と石碑

一本松と石碑                                        草津まちづくりの会
  この辺は昔海岸線でしたが文政4(1821)年頃、本固新開などの一帯の埋め立てにより旧草津港となりました。
この松は港の突堤の先端にあったので出入りする船の目印になっていたようです。また、この辺りは通称「御場所」といわれ浅野藩の御番所(船役人の番所)のあった所とともいわれています。
石碑には『文政四年辛巳(かのとみ)年新地波止築造』という説明と『萬代に多(た)かき功績(いさお)を残しおき繁る草津のはれをこそ見禮(みれ)』という歌が刻まれています、頼山陽(1780-1832)の筆との説もあるそうです。
この松は正月の門松を差しておいたものに根がついたものという説、ここが高木屋三右衛門の屋敷跡で築庭にあった松という説などがあります。この一本松は新地埋立の先端であったことは間違いない処です。
2005年交流ウォークの時に撮影し頁に編集していましたが、今(2008年9月)回改めて撮影して、松関連の頁として分離独立した頁に編集しました。この松の根際に歌が刻まれた石柱が建っています、頼山陽の漢詩からではとも云われているようですが詳らかではありませんので文学碑の頁には入れませんでした。
2012年になって交流ウォーク・藤井先生にこの一本松(が枯れて危険だから)伐採されたのですよと伺ったので、機会があったら撮影しようと思っていました。2012年撮影したままでしたが2014年になりましたが、もともとの画像処理が悪かったので、画像を差替たりして再編集しました。(枯れた処は、別頁で編集することにしました。)
14.04.29再編集     08.10.28分離独立     05.03.22裕・編集

08.09.28撮影
広島市西区草津南1-4

05.03.21撮影

05.03.21撮影

05.03.21撮影



「植物」編



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(草津南)一本松と石碑
枯れた草津南・一本松


「(西区)草津附近」編





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