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西区草津南に建設されている「漁民会館」です。 |
漁民会館建設の由来 昭和58(1983)年3月 広島市長 荒木 武 |
かって、この地は海でした。遠浅のこの海には、豊富な魚介類が生息し、古くより瀬戸内海屈指の漁場として、また、広島特産のかき、のり及びあさりの養殖場として栄え、この海に隣接する庚午、草津、井口地区の多くの漁民の生活を支えてきたところです。
しかしながら、中四国地方の中核都市としての役割を担う、広島市の都市発展の基盤となる流通業務施設の整備の計画地としてこの地が選定され昭和46(1971)年に着手されたこの「西部開発臨海部埋立」により、11年の歳月をかけ、328万uという広大な土地造成がなされました。
この間、着々と流通業務施設の建設は進み漁船の行きかう海は中央卸売市場をはじめ、トラックターミナル、倉庫、そして300数社の企業の施設が整然と建ち並ぶ一大団地として変貌し、瀬戸内圏の流通拠点として形成されつつあります。 |
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昭和46(1971)年の工事着手に先だって、最大の課題であった漁業補償問題は、(表のように)漁業関係者631名の方々の深いご理解により解決をみたものです。
この漁民会館は、先祖伝来の漁場を生活の場にされていた多くの漁業関係者の方々の埋立事業に対する協力に対して感謝の意を表し建設したものです。 |
広島市漁業協同組合草津地区 |
236名 |
草津漁業協同組合 |
210名 |
井口漁業協同組合 |
185名 |
tolal |
(631名) |
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2005年交流ウォークの時ここ漁民会館敷地に建立されている「安藝國養蛎之碑」をはじめて知りました。
しかし、漁民会館自体はちらっと見ただけでした、2007年由来の石碑がある事を知りましたが読む事もありませんでした。2010年になりましたが、この漁民会館建設の由来を読みましたので撮影し、この頁を編集しました。 |
10.07.27裕・記編集 |