京橋川上幟町付近の桜

  中区上幟町の京橋川右岸緑地帯のサクラをこの頁で取り上げました。
京橋川は、かつて、明星院川とも、神田川とも呼ばれていました。江戸時代の初期には西国街道に橋が架けられ、京に向かう橋として「京橋」が誕生して京橋川となり、明治以降は京橋川と呼ばれました。
江戸時代は小路には武家屋敷の表門が、川辺には裏木戸が置かれました。裏木戸では日常の生活として洗濯などの他に、小舟が雁木造りの石段から生活物資を陸揚げしていました。小舟が雁木造りの石段から生活物資を陸揚げし、反対に糞尿を船に載せていました。明治以降も舟運が残っており、その当時の生活遺産だそうです。
現在の京橋川右岸、栄橋から稲荷大橋にかけては(被爆した)多くの裏木戸が残っています。
爆心地から≒1440m   被爆当時町名:上柳町
この附近を、被爆した構築物として見てきましたが、(戦後)河畔の整備にともない植えられた桜が咲いた頃はなかなかの風景になるので、2011年になって京橋川が満ちていましたので撮影しました。(2008年撮影した時は干潮時でした)この頁では桜を中心に編集しました。
   11.04.08裕・紀編集

11.04.07撮影
広島市中区上幟町13             (京橋川河畔・裏木戸と桜)

11.04.07撮影

08.04.04撮影
2008年の京橋川河畔・裏木戸と桜

08.04.04撮影

08.04.04撮影



広島の桜(概説)



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京橋川の裏木戸





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