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この場所にあった建物は、大正12(1923)年に鴻池銀行広島支店として建築されました。設計者は銀行建築を数多く手掛けた渡辺 節(1884-1967)でした。
本通りのほぼ中央部にあって、小規模ながらルネッサンス様式を基本としたデザインが施され、正面の三連の飾りアーチなどが印象的な建物でした。 その後、三和銀行平田屋町支店を経て、大林組広島支店となりましたが、昭和20(1945)年8月6日、原子爆弾により被災しました。爆心地からの距離は≒490m。爆風により屋根が押し下げられ、アーチ窓も吹き破られ、内部は全焼しましたが、倒壊は免れました。建物内の犠牲者は3人が即死し、1人が1ヶ月後に亡くなりました。
被爆後、建物は修復され、引き続き大林組広島支店として使用された後、昭和26(1951)年からは山口銀行広島支店となり、昭和50(1975)年には本通支店と改称し使用されました。 戦後57年間、都心部に残された貴重な被爆建物のひとつとして、本通りを行き交う人々に親しまれましたが、平成14(2002)年に解体されました。なお、この建物の一部(原爆の爆風の痕跡をとどめる換気窓)は平和記念資料館に保存されています。 この説明板は、この地で被爆した建物を記録し、永く原爆による惨禍を後世に伝えるために設置されたものです。 |
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