旧・大林組広島支店(被爆当時)モニュメント

  広島の繁華街・本通り商店街の中に残されていた(被爆した建物の)山口銀行広島支店も時代という波に押し流され、平成14(2002)年に商業ビルに建替えるために解体され(新しい商業ビルになり)ました。
わたしは、いうまでもなく何度となくこの銀行の前を歩いたのに写真を撮ることなど考えてもいない時代でした。今(2005年)回の交流ウォークで改めて被爆した山口銀行本通支店(解体時)を考えたのでした。
爆心地から≒490m  (被爆当時町名平田屋町)
05.05.22裕・記編集

05.05.11撮影
広島市中区本通3-10
 この場所にあった建物は、大正12(1923)年に鴻池銀行広島支店として建築されました。設計者は銀行建築を数多く手掛けた渡辺 節(1884-1967)でした。
本通りのほぼ中央部にあって、小規模ながらルネッサンス様式を基本としたデザインが施され、正面の三連の飾りアーチなどが印象的な建物でした。 その後、三和銀行平田屋町支店を経て、大林組広島支店となりましたが、昭和20(1945)年8月6日、原子爆弾により被災しました。爆心地からの距離は≒490m。爆風により屋根が押し下げられ、アーチ窓も吹き破られ、内部は全焼しましたが、倒壊は免れました。建物内の犠牲者は3人が即死し、1人が1ヶ月後に亡くなりました。 
被爆後、建物は修復され、引き続き大林組広島支店として使用された後、昭和26(1951)年からは山口銀行広島支店となり、昭和50(1975)年には本通支店と改称し使用されました。 戦後57年間、都心部に残された貴重な被爆建物のひとつとして、本通りを行き交う人々に親しまれましたが、平成14(2002)年に解体されました。なお、この建物の一部(原爆の爆風の痕跡をとどめる換気窓)は平和記念資料館に保存されています。 この説明板は、この地で被爆した建物を記録し、永く原爆による惨禍を後世に伝えるために設置されたものです。



被爆した建物・構築物」編 広島ぶらり散歩へ






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