(井口の)首なし地蔵尊

  西区井口の井口小学校横に祀られている「首なし地蔵尊」です。
西国街道 いのくち歴史の散歩道 「首なし地蔵」 平成21(2009)年11月井口・鈴が峰魅力さがし委員会
昔、正順寺の裏側を通っていた西国街道の峠からは、真下に小己斐明神が見え安芸小富士(似島)と厳島(宮島)が海に浮かび素晴らしい風景が展望できました。
一里塚根際の道端に小さな地蔵が鎮座されていました。
伝承によると『
ある時、通りかかりの三人の若武士の内の一人が、「この地蔵の首を斬ってみようとか」と云ったので連れの二人は「硬い首が切れるわけがない。地蔵尊を傷つけたら罰が当たるぞ」と止めたのですが、忠告を聞く事もなく首を斬り落とした。と同時に、その若武者がバッタリ倒れました。見ると折れた刀の先が首筋につ突き刺さっていました。それ以来、誰云うとなく「首なし地蔵」と云われるようになったそうです。』寛永の頃(17世紀前半)の造立といわれ台座に「三界萬霊」の銘があり、一里塚とともに里程にもなっていたそうです。篤志家により、1970(昭和45)年移設され、その後首なし地蔵尊は横に鎮座され(脇地蔵として)、二体の地蔵堂となっています。
*伝承資料は広島教育委員会発行「民間信仰調査報告」も参考にしました
2005年交流ウォークの時にはじめてお参りした地蔵尊でした。当時は説明板はなく、教育委員会発行の資料で伝承を知りましたが、今(2010年)回交流ウォーク探検隊で訪ねた時は説明板が設置されており伝承についてもう少し詳しく記述してありました。
説明板に、井口地区の団地造成時の写真が掲載してありましたので、その画像をこの頁に掲載して再編集しました。
10.05.22再編集     05.06.24裕・記編集

05.06.18撮影
広島市西区井口2-13-1 井口小学校横 

05.06.18撮影

05.06.18撮影

10.05.01撮影

10.06.05撮影

10.06.05撮影
1967(昭和42)年と1968(昭和43)年の造成工事中
説明板の画像を使用しています
説明板の画像を使用しています



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