草津梅林跡・碑

  西区草津梅が台の草津病院入口横に建立されている「草津梅林跡・碑」です。
昔、草津梅林があったそうです。
西区草津梅が台の草津病院北入り口に梅林跡の碑が建っています。
大正時代には行楽地として賑ったそうで、碑のそばの斜面に植えられた約二十本程のウメが当時をしのばせています。
全国の鉄道に、鉄道唱歌というものが造られているようで、
山陽線唱歌(1番・神戸から52番・下関)の、38番に『♪♪己斐の松原五日市 おるれば草津の梅林 宮島駅の海上に 立てる鳥居は厳島』〔1909(明治42)年発表:大和田建樹(伊予国宇和島出身:1857-1910)作詞〕とあるそうですからここ草津の梅林は有名だったということがわかります。
1888(明治21)年兵庫〜明石間が開業して以来、次々に西に延伸していき、1901(明治34)年5月厚狭〜馬関(下関)が開業しています。
2005年交流ウォークの時に草津は梅林で有名だったのですよと教えていただいたのですが、わたしは草津で仕事をしたこともあったのに、梅林の事は知りませんでした。いまは、草津梅が台の名前で名残を残していますが、己斐駅(現在の西広島駅)から梅観の人の列がつづいたといい、鉄道唱歌に歌われていたという往時の賑わいは、いまでは想像できません。
2010年交流ウォーク下見の時に訪ねた時は(わずかな)梅の木しかありませんが少しづつ植えられている?ようで、梅の木には実が付いていました。
2023年3月愛媛県のGさんより大和田建樹さんは、宇和島出身ですと教わりましたので追記しました。
11.10.22更新   05.06.22裕・編集

10.06.05撮影
広島市西区草津梅が台10-1  草津病院入口横に建立されています。

05.06.18撮影

10.06.05撮影

10.06.05撮影

10.06.05撮影



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