こごい しま
小己斐島

  西区井口明神の西部埋立第二公園に(埋め立てずに)残された「小己斐島」です。
小己斐島の保存について        広島市
小己斐島は、尾根の一部が海食で切離されて生じたと考えられている花崗岩の岩峰であります、井口船溜の防波堤の一部として取り入れられたものです。
この岩峰は、波食を受けて周囲は急な波食崖となっており、その下部にはノッチ(波食による窪み)や波食台が形成されています。断面から見てノッチは平均海面に対してやや高い位置に生じていますが、これが今から6000年程前のやや海水面の高かった時(いわゆる縄文海進)の形成によるものか?それとも近年の暴浪によって生じたものかは判然としません。
波食台やノッチの地形は広島近傍の島々にも見受けられますが、本島に見られるものは花崗岩の海食崖およびそこに生じたノッチ、波食台として典型的なもので、自然の海岸が失われつつある現在西部開発事業の埋立によってこれが消滅することがないように広島市において本島を中心とした臨水公園として整備保存を図ることにしています。
かいしょく
海食;海蝕
波浪や潮流によって陸地が浸食されること
はしょく
波食;波蝕
波による浸食作用。
かいしょくがい
海食崖
波の浸食作用によってできた海岸の崖。銚子の屏風ヶ浦や知床半島の海岸はその例。
波食崖。
かいしょくだい
海食台
波の浸食作用によって海面近くの海底にできた平坦な岩礁面。間潮帯に見られる波食棚より一段下位にあって海側にゆるく傾斜する。波食台地。
ノッチ
notch
1)V 字形 U 字形などの切り込み。溝。
じょうもんかいしん
縄文海進
更新世末から始まる汎世界的な間氷期の海面上昇により、縄文早期末から前期前半(約6400〜5500年前)に引き起こされた海進。
関東地方では、この海進による深い入江に沿って貝塚が分布。
昔は、海岸線に沿って夫婦島と呼ばれた男明神島と女明神島であったそうで、現在の国道2号線の工事の時に女明神島がなくなり、西部開発事業の時に男明神島もなくなりそうになりましたが、地元の要望で西部埋立第二公園の中に残されることになり今日に至っているそうです。
「小己斐明神」は、子乞い明神、刻印の明神とも呼ばれ、平安朝末の創立と伝えられており、祭神は市杵島姫命といわれ、弘治元(1555)年(己斐の)旭山神社の分祠を合祀しています。
以前は、鳥居と島の頂上に祠があったそうですが、台風などでたびたび飛ばされ、現在は再建された鳥居があるだけで祠はありません。また、小己斐明神は(井口二丁目)大歳神社に合祀されています。そして、井口明神という町名でその名を残しています。
仕事の関係で、広電宮島線・井口駅で何度も乗り降りしたことがあるので、この小己斐島のことはなんとなく知っていましたが、2005年交流ウォークの時に概要の説明をしていただきました。2007年交流ウォークの時「小己斐島の保存について」という広島市設置の説明板でもう少し地学的なことを知りました。
資料は広島市教育委員会発行「民間信仰調査報告」などを参考にしました 08.04.08更新  05.07.03裕・記編集

05.06.18撮影
広島市西区井口明神2-10  西部埋立第二公園

05.06.18撮影
≒西よりみる

05.06.18撮影

07.07.21撮影



「水関連その他」編



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