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西区井口に創建されている「合掌院」です。 |
大正末期より平井米蔵翁は、鈴ヶ台の開発を発願され現象界の雑事我就を離れて、この地上に生を享けた己が身の生の歴史を悟られ、そこには真菜生々流動する御先祖同族の血と魂の尊さを感じられて、栄枯盛衰、幾星霜地上に明減する人間の浮沈と生命のはかなさと尊さそれにもまして、それぞれの時代にそれぞれの歴史を切り開いた御先祖同族の髣髴たる魂の尊厳に此の地を総納霊場として合掌され、爾来七堂伽藍の合掌院の造営を平井ツルヨが成され、合掌の法燈を永遠にあげられたのです。
合掌院は誰しもがもつこの自己の生の原点に立って現世に処そうとする人々と共に御先祖様又国の為に戦の花と散りし戦争犠牲者並びに原爆犠牲者の霊に合掌し、此の尊き霊があって今日があり、その記録を永久に保存しこれを後生に伝える事を目的として合掌院は縁起されたのです。
また、合掌により後生に継承してゆくことこそ現世に生きるものの功徳とされます。合掌 |
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この近くで仕事をしたこともあったのに、合掌院のことは知りませんでした。浄土真宗本願寺派のお寺かなと思いましたが、(どの包括宗教団体の傘下にも属さない)単位のお寺で1972(昭和47)年建立のようです。
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説明板を全部読んでいませんでしたので、2010年交流ウォーク探検隊で訪ねた時に全文読んでみました。 |
2015年久しぶりに訪ね、撮影しましたのでこの頁を更新しました。 |
15.08.29.更新 10.05.21訂正追記 05.07.07裕・記編集 |