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西区井口にわずかではありますが残っている「(旧井口村)西国街道」跡です。 |
西国街道 いのくち歴史の散歩道 「西国街道と遺跡」 平成21(2009)年11月井口・鈴が峰魅力さがし委員会 |
西国街道は、京都と長崎を結ぶ江戸時代の西日本における幹線道でしたが、公式に定められた呼称はなく藩によって違い古代からの山陽道と呼ばれていた所もあります。広島藩では西国街道と呼ばれる事が多かったようです。 |
井口を通る道が、西国街道として整備されたのは、1633(寛永10)年で幕府の巡検使を迎えるにあたって領内の諸往還を整備、道幅二間半(約4.5m)とし、道・橋、一里塚の設置などが行われました。 |
当時の井口は、山が海まで迫り平坦部が少ないため街道も山間部が多く、中でも小己斐山(現在の龍神山)の峠越えは険しい難所でした。
いまは当時の街道が昔のまま残っている所はほとんでありませんが、この山道入口から≒100mの所が昔の西国街道の姿が残っていろと考えられます。 |
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井口で仕事をしたこともありましたが、2005年交流ウォークの時にはじめて知った旧西国街道・龍神山への登り口附近でした。当時は荒れ果てお地蔵さまを雨露からしのぐ祠もいつ朽ちるかと思うほどで(わたしは)撮影できませんでした。
2009年になって町内有志の方々で龍神山への道が整備されたと聞いていましたので、行ってみようと思っていました。2010年になりましたが井口公民館で「わがまち井口・鈴が峰マップ」を頂き、訪ねました。説明板も設置され、見違えるようになっていました。お地蔵さまも何となく微笑んで居られるように拝見しました。 |
10.05.27裕・記編集 |