龍神山のサイレン

  西区井口の龍神山山頂に設置されている「サイレン」を取り上げました。
西国街道 いのくち歴史の散歩道 「龍神山」  平成21(2009)年11月井口・鈴が峰魅力さがし委員会
龍神山は、1825(文政8)年広島藩編纂の「藝藩通志」の井口村絵図に「小己斐山」と記述されています。現在の「龍神山」は、明治維新後の登記の際に付けられた名称のようで、1838(天保9)年の「御巡見様御通行ニ付村内諸書出帳」にも御建山(藩所有)の「小己斐山」と記述されています。
現在、龍神山(58.5m)の頂上には、サイレンがあり、戦前から時刻・火災発生(戦時中は空襲警報の役目も持っていた)などを知らせています。
井口の昔を歩く会編「いのぐちばなし」の‘井口のサイレン’などを参照しました
 昭和のはじめ井口村ではモモの栽培が盛んで、桃の実の「袋掛け」の手伝いに、近隣から多くの人が井口にやって来ていました。しかし、懐中時計や腕時計を持参する人はほとんどなく、10時の休憩、12時の昼食、3時のおやつ、5時の仕事の終わり、を知らせるために各家が当番で、鐘を鳴らし時間を知らせていました。それは大変な仕事でしたので、地元の故・竹村由登氏がサイレンを寄贈されたそうです。
サイレンは、戦争中は空襲警報に、現在は火災警報の時も使われています。
1975(昭和50)年までは、朝5時もなっていましたが、「いのぐちばなし」が刊行された2002(平成14)年時点では、井口集会所に時計があって、6時、7時30分、12時、17時、22時の5回鳴らしていたそうです。
いまは、井口に引っ越して来た人からサイレンについての苦情があったそうで、2005(平成17)年頃から22時(午後10時)は鳴らす事を取りやめるているそうです。
以前、通算でいえば2年以上この井口で仕事をしていたのに、少し離れた(井口4丁目、井口台2丁目、4丁目だった)からか一度もサイレンの鳴ったところを聞いたことがありませんでしたので、龍神山に上った時に(わたしは)はじめてサイレンを知りました。
10.06.24裕・記編集

10.05.01撮影
広島市西区井口2 龍神山

10.05.01撮影
現在、龍神山頂上にはサイレンがあります

10.05.01撮影

10.05.01撮影



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