(西応寺の)峠三吉のお墓

  中区中島町の西応寺に建立されている峠家の墓石「峠三吉のお墓」を取り上げました。
峠三吉(とうげさんきち :1917-1953)
詩人。大阪府生まれ。幼時期に広島へ移る。広島瓦斯(株)に勤務。本名・みつよし。1935(昭和10)年広島商業卒。在学中より詩作を始め、勤務後まもなく結核罹患。キリスト教の洗礼を受ける。
1945(昭和20)年8月6日広島市翠町で原爆被爆、原爆症に苦しみながら広島で文化運動のリーダーとなり、新日本文学会に参加。共産党入党。1950(昭和25)年「われらの詩の会」を結成。1951(昭和26)年謄写版の『原爆詩集』を出版。1952(1952)年詩集『原子雲の下より』を編集する。1953(昭和28)年手術中に死去、享年36歳。
資料によると、被爆したものとして墓石の記載がありありました。この峠家のお墓も建立が大正15年ということから被爆した墓石です、墓石には大きなクラック(ひび割れ)が入っています。
爆心地から≒690m   被爆当時町名は中島新町でした
西応寺ご住職はお参りされるのであれば墓地に入ることを許可されたということで、2005年交流ウォークの時に峠家のお墓を教えていただき、手を合わせ、撮影させていただきました。2008年の交流ウォークの時は被爆した墓石も撮影させていただきましたので、西応寺の頁から分離独立の頁にしました。
08.10.10再編集     05.07.24裕・記編集
     関連頁:(平和記念公園の)峠三吉詩碑、(平和記念資料館で催された)峠三吉展

08.08.16撮影
広島市中区中島町9-5

05.07.16撮影

05.07.16撮影

05.07.16撮影
大正十五(1926)年五月   峠延吉建之



「広島ゆかりの人たちのお墓」編


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西応寺
西応寺:被爆者が描いた原爆の絵・碑
峠家(峠三吉)の墓
被爆した墓石





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