(普門寺) 被爆した墓石など

  中区大手町の普門寺墓苑に残され供養されている「被爆した墓石など」です。
参考にしている資料には、普門寺の被爆した墓石などの記述はありませんが、お寺の位置は、創建時とかわっていないと聞きますのでこの頁を編集しました。
爆心地から約750m (※爆心地からの距離は地図上でわたしが測りましたので正確ではありません)  
資料に記述がないのは、被爆後墓苑の位置が変わったか?戦後被爆調査を望まれなかったのか?等の理由はわたしには詳しいことは分りません。
2005年交流ウォークで訪ね普門寺の頁を編集していましたが、今(2008)年広島新四国88か所霊場のスタンプラリーで印をいただきたく伺いました。爆心地から1km以内であったことからお寺は焼失し、戦後RC造で再建されていますが、墓地は何処かなと思ったのです、現在の本堂裏(西側)に位置していましたので、拝見しようとしたときに墓石の前に手押しポンプが目に入りました。墓苑は戦後整備されたようで、被爆して無縁になった墓石などは集められ供養されていました。
  06.12.04裕・記編集

08.10.18.撮影
広島市中区大手町3-5-5  普門寺墓苑

08.10.18.撮影
被爆して無縁になった墓石・石仏は集められ供養されていました

08.10.18.撮影

08.10.18.撮影

08.10.18.撮影

08.10.18.撮影
何箇所かにまとめられています   昭和19(1944)年7月6日セレベス近海ニテ戦歿 故海軍大尉・長澤氏は行年24歳の若さで亡くなったようです。無縁の墓石が集められた端に建てられていました。
ぎょうねん
行年
〔「行」は経歴の意〕
「享年(きようねん)」に同じ。
Celebes
セレベス
スラウェシ島(インドネシア語:Sulawesi)の別名
インドネシア共和国東部の島。赤道にまたがるK字形の大島で、16世紀以来ポルトガル、スペイン、オランダの植民貿易の根拠地だった。
  昭和17(1942)年2月8日マカッサルの南30kmのアエンバトバト海岸に上陸した旧日本海軍陸戦隊は各所で戦闘後オランダ軍陣地、マロス空港での戦闘を経てセレベスの首都マカッサルを占領したそうですので、セレベスは日本軍占領地だったようです。



被爆した建物・構築物」編



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普門寺
(境内の)被爆した墓石など
(境内の)手押しポンプ





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