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中区大手町の長遠寺に建立されている「飯田篤老の墓」です。 |
この墓は、(爆心地から≒790mで)被爆し、〔経年劣化もあるでしょうが〕被爆の影響が激しい墓石でした。 |
飯田篤老(いいだとくろう:1778-1826) |
俳人。医師。広島生まれ。広島藩士。飯田利矩(としのり)、篤老(あつおい)また慎平。佐野曾蔵とも名のる。
俳諧をはじめ多賀庵に学ぶ後に京都・高台寺の蘭更(らんこう)の門に学び、自ら一派をたて篤老園と称した。著書、編集本に「なつの夜」「合歓雨集」「温泉津(ゆのつ)日記」「厳島奉納集初〜三編」などがある。 |
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わたしは広島の寺院を巡っていますが、お寺の由来・縁起は「知新集」をたびたび参考にします。
その知新集は広島藩地誌「芸藩通志」の編集の下調査書の一つで、西町奉行菅求馬、町役人の山県屋、安田屋らが史料を集め、更に藩士で文人であった飯田利矩が主任として加わって文政2(1819)年から文政5(1822)年までの間に整理編集されたものなので、飯田篤老のことを取り上げないわけにはいかないということで、お墓を訪ねたのです。
墓石には、飯田と読めるかなという文字はありましたが、長遠寺墓苑案内板がなければわたしにはわからなかったと思いました。 |
08.11.20裕・記編集 |