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中区大手町の長遠寺に建立されている「鈴木三重吉の墓」です。 |
鈴木三重吉(1882-1936)は、広島市猿楽町で生まれ、本川小学校、広島一中、第三高等学校を経て東京帝国大学英文科入学、在学中に夏目漱石の推薦で「千鳥」を雑誌ホトトギスに発表、次いで「山彦」「小鳥の巣」「桑の実」などを書きました。
その後、児童雑誌「赤い鳥」を創刊し、芥川龍之介、菊池寛、北原白秋らの協力を得て日本の児童文学を確立しました。
三重吉はつづり方や自由詩を指導して児童の創造性を高め、また外国の名作童話の紹介にもつとめ、日本の児童文化運動に大きく貢献しました。 |
お墓には「三重吉永眠の地・三重吉と濱の墓」と生前に自書したものが刻まれています。 |
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2005年交流ウォークで鈴木三重吉のお墓を教えていただきましたが、今(2008年)回飯田篤老のお墓を撮影に行った時に(通路を挟んで)隣に位置する鈴木三重吉のお墓も再度撮影しました。また鈴木三重吉の墓碑説明板を読んでいませんでした(上記に紹介し)独立したこの頁にしました。 |
08.11.20裕・記編集 |