(本逕寺)被爆した墓石、記念碑

  中区大手町の本逕寺に残っている「被爆した墓石」などをこの頁で取り上げました。
資料に被爆した燈籠、墓石などの記載が合ったので本逕寺境内を拝見させていただきました。
爆心地から≒890m    被爆当時町名は大手町7丁目でした。
境内の被爆樹木ボタンとシロダモがあるということで撮影させていただいていたのですが、被爆した構築物としての墓石などは紹介していませんでしたので、6月と9月に訪ね、撮影させていただきました。墓苑西北に建立されている「海塚翁碑」をみたとき息を飲み込み佇んでしまいました。
 07.11.27裕・記編集

07.09.10.撮影
        広島市中区大手町3-13-11  本逕寺墓苑(手前被爆したボタン) 

07.06.11.撮影
爆心地より≒890mですので被爆した墓石は色でわかるようで、安政五(1858)年も読めました。

07.09.10.撮影

07.09.10.撮影
(戦後建立であろう納骨堂の上に)石仏が 墓石の年代の中には、嘉永二已酉(1849)年十二月十日

07.09.10.撮影

07.09.10.撮影
(被爆したからでしょう碑全体的にクラック・亀裂が入っている海塚翁碑)  大正五(1916)年七月



被爆した建物・構築物」編



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