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南区皆実町に建てられている「猫田記念体育館」です。 |
猫田記念体育館は、建築面積:2,440u、延床面積:5,829u、鉄骨鉄筋コンクリート造4階で、3階がアリーナ(arena=室内競技場:1,502u)で4階が観客席700席などになっており、1989(平成元)年に竣工した体育館です。 |
猫田勝敏君へ |
私は君に日本バレーの運命を賭けました。君はみごとに金メダルで応えてくれました。君はまさに日本の誇りであり世界のあこがれでありました。短くとも赤々と燃えた君の人生はバレーを愛する。世界の人々の胸に永遠に生き続けます。 |
平成元(1989)年3月吉日
*監督松平康隆(1930-2011)氏他チームメートの名が刻まれています |
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猫田勝敏(ねこた かつとし:1944-1983) |
広島県安佐郡安古市町(現広島市)に生まれ。崇徳高校卒業。バレーボール選手(セッター)、(専売広島)監督。
1964(昭和39)年東京オリンピック出場、銅メダル獲得。1968(昭和43)年メキシコオリンピック出場、銀メダル獲得。1972(昭和47)年ミュンヘンオリンピック出場、金メダル獲得。1976(昭和51)年モントリオールオリンピック出場、4位。1983(昭和58)年悪性腫瘍で死去。 |
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「世界一の名セッター」と云われ、1972(昭和47)年ミュンヘンオリンピックで金メダリスト(準決勝対ブルガリア戦でのセットカウント0-2から大逆転劇を演じた処をTVでみていたバレーボールにも疎いわたしでも忘れえない試合から)金メダルを獲得したチームの一人であった猫田勝敏氏の功績をたたえて、日本専売公社(現日本たばこ産業株式会社)が1989(平成元)年に建設した『猫田記念体育館』です。この前を何度となく通っているのに立ち寄ってこの体育館の中に入ったのは、2005年がはじめてでした、それは1階ロビーが11月の交流ウォークの集合場所だったからです。 |
今(2010年)年体育館東側根際に移設されていた「(旧専売公社広島工場)祈平和の碑」に市内電車の中からはじめて気が付いた事につづいて、1階壁に設置の陶板壁画の作者が(仏人)ルイ・フランセン作品とわかり、何度訪ねても新しい事を知ることができましたので、追加撮影し、今回この頁は建物画像を追加再編集しました。 |
10.12.20再編集 05.12.05裕編集 |