(江波の)千人供養塔
  中区江波二本松に建立されている「千人供養塔」です。
この碑の建立由来は、「五人心中があり、あまりにも悲惨な出来事であったため、昭和3(1928)年2月3日、広島市左官町の保田が発起人となって、この塔が建立された」そうです。
(碑の下に)昭和三年二月三日  発起人 広島市左官町 保田佐一(と刻まれています)
2007年11月交流ウォーク探検隊で会長と一緒だったときに旧江波射撃場跡をみて慈仙寺に行く途中みたのです。
碑銘の千人供養という文言と死のうと思っている人を止めようとしている碑文から何のことだろうと思ったのですが、碑の由来はわからなかったのです。
2008年4月の交流ウォーク江波地区で再び訪ねることになります。広島市教育委員会発行「広島の石碑」に建立由来が紹介されていましたので、わかったのです。
交流ウォーク探検隊で訪ねた今(2008年4月)回、通りがかりの近所の奥さんにこの碑の事をお聞きしたのです。聞いた話ということでしたが、この碑の「千人供養」という碑銘に辿りつくような話でしたので、追記することにしました。
『5人の心中がありその出来事に対する供養があることと、もう一つ、吉島の刑務所に入っている死刑囚の死刑執行(銃殺)場がこの地の付近にありその死刑者が1000人に達したことで「千人供養」という碑銘になったと聞いたことがある。』という話でしたが、どうでしょうか?刑務所の略沿革をひも解いてみましたが。
08.04.06更新   08.03.16裕・記編集

’07.11.19.撮影
広島市中区江波二本松1丁目 (皿山下西北側)

’07.11.19.撮影














’07.11.19.撮影



















’07.11.19.撮影













































広島刑務所略沿革 現在住所:広島市中区吉島町13
1888 明治21年3月 吉島に監獄設置
1890 明治23年10月 広島監獄署と改称
1903 明治36年4月 広島監獄署を広島監獄と改称
1922 大正11年 広島監獄を広島刑務所と改称
   爆心地より≒1810m〜2,250m 
被爆当時町名も吉島町
塀に囲まれながらも多くの建物が倒壊し甚大な被害を受けたそうで、当時職員≒250名、収容者≒1200名がいて職員8名、収容者15名が即死または行方不明になり、被爆後1週間ほどで100名を越す受刑中の犠牲者を荼毘に付したそうです。
広島刑務所内には(原爆死没者)鎮魂の碑が建立されているそうです、後日お参りし頁を編集しました。



「その他」編 広島ぶらり散歩





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