広島には天然の良港がなく、広島開府以後大田川の川ぞいに町は発展し、とくに本川すじは広島の商業の中心として繁栄してきた。
常夜燈は、現在の燈台と照明を兼ねた施設と推測される。起源については不詳であるが、当時の本川すじの繁栄を描いた江山一覧図{文化5(1808)年の銘あり}にも描かれていることから、少なくとも1808年以前に設けられたものということができる。対岸の平和記念公園側からみると、今でもその石積みをはっきり認めることができる。雁木は護岸に設けられた階段で、船着場と荷揚げ施設を兼ねたものである。 |
| (本川護岸)・常夜燈基壇は爆心地から480m (被爆当時町名:塚本町) |
| 平和記念公園から見えるこの常夜燈は、以前から知っていましたが戦後設置のものであろうと思っていましたので撮影もしていませんでしたが、説明板がありましたので撮影しました。資料をみていると藩政期から荷揚場として栄え周辺の堺町は問屋街としてにぎわったと。 |