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『・・・船舶通信補充特別幹部候補生は、千田国民学校を宿舎として教育を受けていた昭和20(1945)年8月6日朝点呼中校庭で被爆、帰営中の三期生を含め、全員が重軽傷を負い特幹隊は壊滅の状態に陥った各施設に収容されたものの、終戦の混乱で治療もままならず、旬日のうちに幾十名の者が散華していった。
昭和四十五(1970)年以来生存者有志相集い、これら友の惨死を風化させるにしのびず、相はかりて還らざる友の冥福を祈りあわせていまわの声を継承し、とわの平和を誓って鎮魂の碑を建立するものである。』 |
| 比治山・陸軍墓地に建立の「鎮魂之碑」碑文の一部です。 |
| 千田小学校で目にした「若潮千通会・記念植樹」石碑、比治山の鎮魂之碑を何度か訪ね船舶通信補充特別幹部候補生が千田国民学校で被爆した事を知っていましたので、現在の千田小学校の中に(昭和46年に)記念植樹という形でとわの平和を誓い記念樹を植樹されたのだろうと思ったのです。昭和50(1975)年に比治山陸軍墓地に鎮魂之碑が建立された事のつながりがわかってきたのです。石碑の後ろには樹木がなくどの木が記念樹かわかりませんでしたが、石碑の文字「記念植樹・若潮千通会」はグラウンドの方を向いて、いまの子供たちを見守っているのかななどと思ったりしました。 |