(千田小学校構内にある)石碑
  昭和御大典記念石碑、御銀婚式記念石碑をみましたので撮影しました。
ほんの一端ではあっても日本の歴史を示す記念碑を残すことを、最近の日本は蔑ろにしているのではと、わたしは常々思っていたからです。これらの石碑は、原爆の惨禍に曝された後千田地区に残っていたものを、千田小学校に移し残されているのだなと思ったのです。広島は平和都市として平和を世界に発信していると自負しているようですが、敗戦までは軍都廣島として亜細亜侵略(の歴史)の一端を担っていた地なのです、それも歴史であり史実であるのですから目を背ける事なくその史実に面と向かい合う事で、未来の平和を考える力にしなくてはならないのではとわたしは思うからです・・・
07.06.16裕・記編集
(昭和天皇)御大典記念

06.07.15撮影
昭和御大典記念 千田■■■ 昭和3(1928)年11月
昭和・即位の礼
だいじょうさい
大嘗祭
昭和3(1928)年11月6日、昭和天皇(1901-1989)は即位の礼を執り行う為、宮城を出発し、京都御所へ向かった。京都へ向かう天皇の行列は2名の陸軍大尉を先頭に賢所の神鏡を奉安した御羽車、天皇の乗る六頭立て馬車・香淳皇后(1903- 2000)の乗る四頭立て馬車・皇族代表・内大臣・総理大臣の馬車と続きました。
11月10日、即位の礼当日の参列者は勲一等以上665名、外国使節92名他、2000名以上の参列者があり、式典では内閣総理大臣・田中義一(1864-1929)が万歳三唱しました。天皇は紫宸殿(ししいでん)の儀を終えた後、11月21日に伊勢神宮で即位の報告をし東京へ戻った。東京に於いても宮中晩餐・夜会などの祝宴の他、観兵式・観艦式等が執り行われた。昭和の大礼の総予算は当時の金額で1968万3637円50銭5厘とわれています。
(大正天皇)御銀婚式記念

06.07.15撮影

06.07.15撮影
御銀婚式記念 大正14(1925)年5月10日 千田二丁目
たいしょうてんのう
大正天皇
(1879-1926)
第123代天皇(在位 1912-1926)。名は嘉仁(よしひと)。明治天皇の第三皇子。
1900(明治33)年5月10日九條節子(15歳)と結婚。1912(大正元)年7月30日明治天皇死去し、皇位を継承、大正と改元。1915(大正4)年即位の大礼。1921(大正10)年以後、裕仁(ひろひと)親王を摂政として政務を執らせた。



「天皇関連碑など」編



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千田国民学校原爆犠牲教師と学童追憶之碑
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(被爆樹木)
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  (校内で被爆の)クスノキ
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  (国泰寺で被爆し移植された)エノキ
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(野外彫刻)
   平和の女神
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   (千田小学校構内にある)石碑





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