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中区南千田東町に建立されている「厳島献備常夜灯」です。
※厳島献備常夜灯の根際に鎮座している「稲荷社」もこの頁で取り上げています。 |
厳島献備常夜灯 |
燈明台ともいい、常夜燈として夜間海上交通の安全を祈って、本川に出入りする舟の便利のため設けられたものでしょう。
彫られた銘によると「常夜燈」「嚴嶋獻備」、「寛政五癸丑(1793)年六月吉祥日」とあり、厳島神社に献備されたものです。 |
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南千田町の南橋に稲荷神社が鎮座していますが、この場所には樋門があったそうです。
この樋門は上流から流れてくる水を満干潮の時には樋門を閉じて耕作地の農作物に水害などの被害を与えないようにしたものでした。
昔は、この地は国泰寺村と称され半農半漁で、農耕を大事にした(広島)藩は樋門を守る家に対しては名誉を与え大切に扱い、無難に樋門を操作するように指導していたそうで、この樋門を代々守り続けてきたのが、渡部家だったそうです。 |
2009年6月交流ウォークの時、千田水資源再生センター正門の東側にあった石燈籠と稲荷社でした。
現在鎮座の稲荷社の処に樋門があった事を平成6年:明日の千田を創る会発行の「ふるさと再発見」で知りました。その冊子には、二つの稲荷社の由緒についての記述はありませんでしたので(今のわたしには)わかりません。 |
10.12.17裕・記編集 |