(吉見園)開墾記念碑

  佐伯区吉見園に建立されている「(吉見園)開墾記念碑」です。
1879(明治12)年2月(当時)五海市村戸長・吉見新兵衛によって「吉見新開」埋立工事が開始されましたが、途中大潮の被害を受け破壊し、私財を投入すると共に親類縁者からも借金し、1882(明治15)年に「吉見新開」が竣工しました。
しかし、新兵衛は破産し、米国に渡って再起を図りましたが、病気にかかり帰国せざるを得なくなりました。
この吉見新兵衛の業績を遺すためにこの碑が建立されました。
傳氏衛兵新見吉
氏者本邑人田屋新五郎氏之長男距生安政三年八月十五日性
朴直寛大嗜學長而明治九年第三小區戸長事務所詰筆生勤務
自仝十一年本邑擢公撰官撰戸長歴任三回仝十七年為本縣々
會議員仝二十二年本邑助役就任以仝二十四年七月辞任■■
茲創明治十二年二月於開墾大事業也卜築羊而罹大潮干破壊
之害雖然不羈貫闘括裾二箇年辛而告落成之則本邑地字吉見
新開云噫氏之偉徳可垂干載不巧因釵畧建傳表其功労欲傳後
昆者他     發起者謹撰   大正三(1914)年甲寅十月建之
  者起發   河野貞夫  福田一造  他8名の名前 
当初この碑は海老山北側下の道路沿いに建立されましたが、1964(昭和39)年9月30日台風22号、10月2日台風23号で堤防が決壊寸前になり、その復旧補強改良工事が施された後、新堤防のこの地に移され、現在に至っています。
交流ウォーク探検隊の前に、みずとりの浜公園に立寄りJR五日市駅に行く途中にみた石碑でした。
石碑の経緯は、広島市教育委員会発行「広島の石碑」を参考にしました。その本には碑文も記載あり参考にしましたが、この頁では(わたしが)解読したものにしていますので、間違いがあるかもしれません。
10.10.17裕・記編集

10.07.03撮影
広島市佐伯区吉見園24附近

10.07.03撮影

10.06.05撮影

10.07.03撮影

10.07.03撮影



「その他」編
(土地区画・開発関連記念碑など)



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