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廿日市市宮島口に創建されている「南陽山(なんようさん)延命寺(えんめいじ)」です。 |
曹洞宗・南陽山延命寺の縁起について、当山に伝わる古文書は、天文元(1532)年寿嶽和尚によって開かれたとあります。また、慶長元(1596)年洞雲寺九世の住職・全室宗用大和尚を招いて開山したという説もあります。
宮島は中世以降次第に栄え、江戸時代には「宮千軒」と謳われるほど反映しましたが、古来神の島として墓地や火葬場の設置は認められませんでした。
島民の遺体は「向う」の赤崎(現宮島口)に移され埋葬されました。そのため赤崎には大規模な宮島島民の墓地が出現することとなりました。 |
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「厳島御室」と慕われた一品伏見宮任助(いっぽんふしみのみやにんにょ)法親王(1525-1585)御陵もその一つです。この墓地に、冥途の旅の平安を祈願してお堂を建て「六道能化のお地蔵様をお祀りしたのが延命寺の始まりでしょう」つまり延命寺は、宮島島民の所願によって創建された寺だといえます。本尊は、お身丈55cmの「延命地蔵菩薩立像です」また本堂は元禄3(1690)年、文政3(1820)年と大正13(1924)年の三度の建替えを経て、現在に至っています。庫裡は昭和47(1972)年、山門は平成3(1991)年それぞれ再建されました。庫裡が本堂の左側にあって、普通の寺の配置と逆になっています。これは創建当初からであると思われますが、その理由は不明です。また石垣は後年の修復箇所を除き、大部分が墓石で築かれています。このことも墓地に建てられたお寺であることを物語っています。 |
平成7(1995)年9月佛日 延命寺 十五世・大鑑俊隆建立 檀家総代・中丸匡撰文 |
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2007年交流ウォーク探検隊で訪ねたのです。
宮島には墓地の設置が認められていないことから対岸の旧大野町のこの地付近に墓地が造られたのでしょう。(いまのJR宮島口駅前は墓地でしたが、現在駅裏手の丘に墓地が移されたそうです)誓真さんのお墓が大野町赤崎に建立されていることも知っていました。
しかし、お寺からは少し離れていますが、そこは延命寺墓地場所で、今回案内していただきお参りできました。 |
08.02.22裕・記編集 |
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