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廿日市市宮島口に建立され宮内庁で管理されている「任助親王墓」です。 |
任助法親王(にんにょほうしんのう) 1525-1584 (大永5年※−天正12年) |
真言宗仁和寺の門主。伏見宮貞敦親王第四子。母は太政大臣三篠實香の娘。諱は煕明。後奈良天皇(1496-1557:第105代天皇・在位 1526-1557)の猶子※。
1539(天文8)年仁和寺・真光院で薙髪出家。晩年、九州への旅の途中に宮島の大聖院に立ち寄り、西方院で1584(天正12)年11月29日に亡くなった。 |
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ここ旧大野町赤碕の任助法親王の御陵墓が正しいとされていますが、佐伯区三宅の円明寺にもお墓があります。 |
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*辞書によっては「にんじょほうしんのう」と呼んでいるものがありますが。
*猶子(ゆうし)=親族または他人の子を自分の子としたもの。
養子に類似しているが、相続を目的としない点で異なるそうです。 |
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大永4(1524)年生まれという資料もありますが、廿日市町誌の大永5年を参考にしました。 |
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交流ウォーク探検隊でわたしははじめて訪ねました。会長が以前に訪ねておられましたので現役の手押しポンプがありますよと教わっていました。
この御陵の編集前に手押しポンプを紹介する頁を編集したのですが、任助法親王のことを調べるのに手間がかかったからでした。 |
広島市五日市中央公民館など発行「わがまち大辞典」などを参考にしました。 |
08.03.13裕・記編集 |
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