(旧大野町の)子持ち観音

子持ち観音の由来
  この観音像は「子持ち観音」と称し胸部に小さな石造りの観音さまが拝されています。
年代は不詳ですがこの石造りの観音さまは此処から西方200mの海上に見える「二つ島」(通称:鼻ぐり山)の山上に水難と平和加護のため安置されていました。その石灯籠に天保(1830-1844)の文字があったことから江戸時代末期と推測されています。
明治になって能美大原村(現・大柿町)の人で豪商佐々木伝介という人がここの麓に別荘を建てたときこの石観音さまのために檜造りの六角堂を寄進してこれに奉納いたしました。
その後、佐々木氏は大阪の工人・高尾定七に2.6mの赤銅作りの大観音像を鋳造させて、その胸部に石観音を収め祀ることとしました。
  明治45(1912)年3月1日観音さまの入佛式には宮嶋驛(現・JR宮島口駅)に着いた大観音像を大勢の地元の人々が紅白の綱を行列で引きこの地に運び上げたといわれ当時の賑わいがいまに伝わっています。佐々木氏は当時のお金で拾四圓を寄付され、その利子で毎年1回お祭りをしていました。現在は地元消防団の勧進で毎年4月18日に行われ、海と集落の安全加護をお祈りしています。それ以来、この岬を観音崎と呼ぶようになっています。
平成16(2004)年7月吉日 「古事書」から
  交流ウォークコースとしては一応任助親王の墓所で終わりで、この子持ち観音のことは聞いただけでしたが、宮島コース探検隊の前に片岡会長に案内していただきました。地図をみれば確かに観音崎とありますが、一人では辿りつけなかったかもしれないと思ったのでした。
08.03.14裕・記編集

07.10.24撮影

07.10.24撮影
広島県廿日市市宮島口西1 観音崎 

07.10.24撮影

07.10.24撮影



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