|
廿日市市大野の報国神社境内に建立されている「(大野村)清國事變凱旋・碑」です。 |
旋凱變事國清 |
※ |
建立年月、揮毫者が碑表面の最後に刻まれているのですが、字が薄く(わたしには)読めませんでした。 |
※ |
この清國事變凱旋・碑は、大頭神社参道と旧・山陽道(前・大野町町道)との交差点東側に忠魂碑と並んで建立されていたそうです。 |
|
(ほくしんじへん)
北清事変:
|
1899(明治32)年〜1900(明治33)年列強の進出に抗した中国民衆の排外運動。
山東に始まった義和団の運動が華北一帯に波及、北京の列国大公使館区域を包囲攻撃するに及び、日英米露独仏伊墺(おう)連合軍の出兵を招き、鎮圧された。
義和団事件(ぎわだんじけん)。団匪事件(だんぴじけん)。 |
|
碑銘が「清國事變凱旋」となっていますが、(戦前)日本では北清事変、支那(シナ)事変と云っていたようで、亡きオヤジが兵隊として中国に行った経験からか、支那にゃ四億の民がいると云っていたのを思い出します。碑文が薄くなっており(わたしには)読めませんでしたので、清國事變を北清事変のことだと解釈してこの頁を編集しました。 |
※ |
(日清戦争、日清戦役と一般的にいいますので事変としては)北清事変、支那事変となると思うのでますが、
支那事変は、1937(昭和12)年から始まった日本と中華民国の間での武力紛争で、清国との間で行われた事変は北清事変と解釈しました。 |
|
09.10.22裕・記編集 |