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廿日市市大野の大頭神社に1969(昭和44)年に建立された「大野町戦没者慰霊碑」です。
日清戦争から大東亜戦争までの大野村の戦没者を慰霊して建立されています。 |
表面: |
碑霊慰 |
側面: |
みだれなき滝音のなかみたまらの 眠りやすけき永久のしずまり |
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昭和四十四(1969)年十二月吉日建之 大野町慰霊碑建設委員会 |
裏面: |
日清戦争(3名のお名前)、北清事変(4名)、日露戦争(19名)、日独事変(1名)、シベリヤ出兵(3名)、支那事変、大東亜戦争、動員学徒 |
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慰霊碑建立が大野町時代ですので(わたしは)「大野町戦没者慰霊碑」としていますが、原爆死没者(動員学徒の方々など)を含めて戦没者の方々は大野村時代の方々です。 |
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1889 |
明治22年4月1日 |
町村施行時、大野村単独村政。 |
1950 |
昭和25年4月1日 |
町政を施行し、大野町となりました。 |
2005 |
平成17年11月3日 |
廿日市市に編入、廿日市市大野となりました。 |
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この碑は、日清戦争から大東亜戦争までの大野町の戦死没者慰霊碑として1969年建立された碑のようです。
大野町誌をみると「・・・昭和20(1945)年8月6日の原子爆弾の犠牲となった学徒・女子挺身隊員など大野村にも62名を出した。義勇隊は8月4日が大野村民の広島市出動日であったためこの難を逃れた。・・・・
この役(第二次世界大戦)の大野村出征軍人数は、終戦当時書類が一切灰になってしまい、推定の戦死者は無慮四百人である」と記述があり、P840〜P844戦死者名簿が掲載されています。 |
日清戦争、北清事変、日露戦争、日独事変、シベリヤ出兵、支那事変、大東亜戦争の死没者のお名前が刻まれており、学徒動員中亡くなった方々も含まれていましたので、原爆死没者慰霊碑にもなっているということで、「原爆関連慰霊碑」編の中に掲載することに(わたしは)しました。 |
09.10.25裕・記編集 |